寝る前に思い出して寝れなくなったので書いて消化させたい。めちゃ長い。すいません。
可愛い姉がいます。私は可愛くなかった。親戚の集まりなどで一番に褒められるのは姉。当時5歳くらいかな?従姉妹は姉にばかり懐いて、私のことは無視をした。
よく覚えているのは、私たち姉妹と従姉妹の三人で祖母の家に遊びに行った時。姉が最初に玄関に着いて中に入る。私は靴が脱げて道のど真ん中で立ち往生していた。従姉妹は私の少し先を歩いていて、私は靴が脱げたから待ってと言った。その時従姉妹は私の顔と姉が入った玄関を映画の描写みたいに見比べて、私を無視して走って先に行ってしまった。小さかったから、ひとりぼっちになるのが怖くて、待ってとたくさんお願いしたのに無視された事が本当にショックだった。
従姉妹のことが今でも大嫌いだ。あいつの死に顔見てからじゃないと死ねない。(あの人普通に性格悪いし)
小学5年の時の担任から、「優しくない子だね」と言われた事。
忘れ物をした子に、恥ずかしくて物を貸そうか?と声をかけられなかった。担任のいかにも大阪人っぽいオバサンはそれを知って、なんだかニヤつきながら私は優しくない子だと言った。
まだ反抗期も来てない子供だったのに、人の性格を決めつけるような事よく言えたなと思う。あの銅鑼で頭を思いっきり挟まれたみたいな衝撃は一生忘れられない笑!子供を自己嫌悪でいっぱいにして、彼女は何が楽しかったんだろう。今どこで何をしてるのか知らないけど、早く消えて欲しいかな。
ちっちゃい時?かどうかは分かんないけど、高一の春、同級生に言われた事がずっと忘れられない。
私は結構難しめの本とか読むから、語彙もあんまり学生っぽくない。難しい言い回しとかよくしちゃってた。それを「◯◯ちゃんって厨二病っぽいよね?」てマジで本人に直接言ってきた女がいる。高二病で厨二病のこと過度に見下してた私はやばめのダメージ負った。見下してた人と同類だと思われてたんだ、という気持ち。本当は厨二でないのに。私は歴史があったり評価されてたりする本をたくさん読んでいたことが誇りでもあったから、その影響の語彙を馬鹿にされたこと。
自分の喋り方に自信も持てなくなって、会話するたびに気を遣って難しい言葉使わないようにした。悲しかった。あの女、頭おかしいよな。なけなしの知識で、難解な言葉=漫画の黒幕とかが使う言葉って気味悪い区別してさ。思っていても、わざわざ人に言わないよ、ふつう。
多分3歳とかの時。ママ友繋がりでよく遊んでいた歳がちょっと離れた子達が居た。私だけが最年少で、歳が上の子からしたらフラフラしてて、とろくさかったのかも。よく話からハブられてた。(小さい頃だもん、性格が悪い、変な子だからハブったとかでは無いと思う)
私以外が知ってる裏山の宝箱の話とか、恋バナとか。私を締め出した個室でたくさん話してた。
あるとき、私が扉叩くと、中から笑ってる音がした。寂しくて扉にくっついて泣きそうになってたら、急に扉が開いて、親指をぶつけて、紫すぎて逆に祭ってレベルの内出血をした。本当に痛かった。中にいた人達は「あ、やべ」みたいな感じで私を見てたと思う。
痛すぎてもう中の人たちどうでもよくなって、直してもらおうと親の所に行った。誰もついてきてくれなかった。親は、足怪我してギャン泣きしてる子供見て、何があったのか聞くじゃん。説明しようとして、なんて言えばいいかわからなかった。
「皆にハブられて、扉の前で駄々こねてたら事故った」て、情けなくて言える訳なくない?
ちっちゃくてもそれが惨めなことだって分かってたよ。今でも仲間に入れてもらえなくて、自分の何が悪いのか分かんなくて、すごい焦ってた気持ちすぐに思い出せるよ。
まだまだある。人格形成する時期に経験した嫌な事いっぱい。姉の日陰に隠れて、皆から無視みたいな事された記憶が多いかな。姉の事は好きだけど、私と比べて残念だねみたいな事を行った大人たち、皆覚えてる。それくらい悲しかったって話。
一桁代の子供だからって話がわからないわけではない。何を言われたのか、全部理解してたよ。その分自分は周りから見られてないことにも気づいてたよ。両親は流石に平等に接してくれてたけど。
その時感じた嫌な気持ちが全部、今の私と地続きになっていて、周りから必要とされてないなってすぐに冷める気持ちも、「あの経験をしたからだな」ってのがわかる。
あ〜〜私の人格形成に悪影響を与えた奴ら全員殺してからじゃないと死ねないよ〜!
私が可哀想すぎる。姉を恨んでいない私がいい子すぎる。(周りからそんなに酷い対応をされてた訳じゃないけど)
絶対に許さない、というか私のために死ななくちゃいけない人、小5の時の担任、従姉妹、高一の同級生女の三人は、人生山あり谷ありの谷というには汚すぎるし、ここに書いたエピソード以外にもたくさんの準トラウマを植え付けてきたから仇打ちしたい。当時悲しんだ幼少期の私の。
タイムスリップして、小さい頃の私に、病まないタイプの私に、「酷い人達は死んだよ。もっと明るく育っていいよ」て言ってあげたいんだよ。
新聞配達きたんだけど…。余裕で学校あるのに。