少し前まで、特定のこれというものがある訳では無いが、なんとなくの正解な道を歩んでいたと無意識に思って、ちょっと崩してしまってから歩いてたはずの正解の道から大幅に外れてしまったと感じて、早く戻ろうと思い出そうとしても何をしてたんだっけなあとよく思い出せないくて、正解ではないところにいる自分がすごく嫌だなって思って自己嫌悪になって、そこから正解はなんだっけ正解ってなんだってずっと悩んでる
SNSとか親とかは正解なんてないんだよって伝えてくれるけどではなぜ周りに馴染むことが出来ないのか?周りと馴染むことが正解かと言われるとそうではないけど。周りに馴染むことが出来ないのか、そもそも周りという交友関係が苦手なのか?前まではどうだったんだっけ、早く戻りたいって思うんだけど何をすれば正しいのか分からないし間違えたくもないので何も出来ないって言う。何も出来ないのか何もしたくないのか?自分の意思がはっきりとしないというのは自分の意見がないということなのか?それとも自分が無意識に考えることをやめてるもしくは考えはあるけど無意識に自覚しないようにしているのか?
前までは考えもあっと思うんだけど道から外れていくにつれて周りからの視線とか将来とかが怖くてどんどんねじ曲がっていって、こうだと本当は思ったけど周りがこういうならこうなのかもしれない、こうでなければならないのかもしれないと感じて正解であることが当たり前なのだからと思ってそうしていたのかもしれない。こうでなければならないのかもしれないと思うようなことを体験して、それが正解なのかなってそれを自分にも正解であるという認知にしたのかもしれない。
当たり前に自分は正解の道にいて、正解の道にいることが正しくて、それによって幸せであってっていう自分の中で常識があったから、その今まで持ってきた認知が全て丸々間違っていましたよという事実に気づいてしまって、それを認めようとするまで時間をかけて、それを認めたから何かが変わったのかと言われるとだからなんなのだと。でも自身からしたら人生の常識が消えてじゃあ何が正しいのかと考えて、正しいと考えることがまず誤認識であったし、でもじゃあ間違いであるかと言うとそれは正解があるから間違いがあるわけで正しいと思わないことが正解で正しくて結局同じでは無いのか少し誰かに都合のいいように常識を改変されてるのではないのか
最終的になんの話しようとしてたのか忘れちゃった、、、、
なんだっけ!!
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください