流した小瓶を確認したら、頻繁に開いていたのは2019年頃だった。その時は劣等感で泣きまくってた頃。その上、進路が決まらなくてどうでもよくなってた頃。(そのまま行きたい進路なんてなく、受験終わったけど。)
最後に流した小瓶は、2021年2月だったからそんなに久々じゃないかもしれない。
その2021年の宛メを流した時は死にたくて死にたくてどうしようもなかった。
何回か車のライトを見ると飛び込みようとフラフラしたし、高校の校舎から飛び降りてやろうと思って外の非常階段登ってぼんやりしてたし、何度もクローゼットで首吊ろうとした。
怖くてできないという表現より、泣き続けてできなかった。
簡単に言えば、受験鬱という甘えだったんだと思う。
今はなんやかんやで、心理学を学んで、一人暮らししてる。
なんでかわからないけど、生きている。
受験鬱ぽいのは多分、抜けたんだけど、感情が無くなった。
まだ受験鬱ぽい時の方が、たくさん泣いてたから感情あったんじゃないかと思う。
やっぱり「〜したい」って思わないし、趣味もないまま。
2019年頃の劣等感でどうしようもないみたいな感覚より、ほんとうに空っぽな感じ。
サークルやバイトを覗くとやたら「楽しい」「アットホームな」を押し売りされる。
実際、なにかに入ってみても「楽しい」がなんなのか頭で考え出しちゃって、家に帰って1人、すごく疲れる。
辞めると言い出すのも「アットホームな」には見えないからか、なかなか言い出せない。
なんでかわからないまま生きてるから、また車に轢かれたいなってフラッシュバックする。
正しく、全うに生きてない気がする。
だからなんとなく、宛名のないメールを開いて、小瓶を流しました。
私は微笑みうつ病を持つ18歳です。私は楽しくないときも自分の中で無理やり楽しいを作り出せちゃいます。でもその反動で家では寝込んでばかりです。
そんなものを持っているから思うことがあります。
楽しいは必ずあった方がいい、とは私は思いません。楽しいを無理に作り出したら、楽しくない=無理をしている人が出るからです。
そしてその無理をしている人は大抵優しい人です。小瓶主さんがサークルで言い出せないのもまわりのことをおもっている優しさの表れだと思います。
私にとって小瓶主さんは真っ当だと思います。一人暮らしで心理学を学んで、すごく私にとって憧れる生き方です。小瓶主さんが普通だと思っていることはすごく努力しないと手に入らない、続かないものだと思います。
辛いときは私は正しくなんてなくていいんだと思います。小瓶主さんファーストで生きて欲しいです。正しさなんて人それぞれで概念も違いますし、みんな自分勝手に生きています。小瓶主さんが辛くない選択をすることが正しさだと思います。
すみません、終始支離滅裂で、
言いたかったのは小瓶主さんはとても良い人だといううことです。初めましてなのに何言ってんだって感じですよね、
小瓶主さんが少しでも楽に生きられますように