「世界は幸福や希望で満ちている」なんて寝言が実際にはあり得ないのと同じくらいに
「世界は絶望と不安だけで出来ている」ってコトもなさそうだ。
つい先週まで、辛くて辛くて死ぬことばかり考えてた。
ネットで自殺の方法を検索したり、ハナシ聞いてくれるサイト探したりしてた。
ここに辿り着いたのもその流れ。
「死にたい」という思いを書いて小瓶を流したけれど、文章が下手糞なのか
内容が陳腐なのか、いまだにお返事のひとつもない。たぶん、前述の両方の理由なんだろう。
恥ずかしい話、「こころの電話」みたいなところにも電話してみた。「混み合っていてつながりません」のメッセージばかり。
ああ、もう生きてなくていいや。誰も助けてくれないし、つまりは誰にも必要とされてないし、死んでも誰も悲しまないだろう。
そう思っていた矢先、ほんの少しだけど周囲の状況が改善した。本当に少しだけ、努力なんて言えないほどちょっとだけ動いて
周りも少しだけ動いたせいか、辛さは「死ぬほど」ってレベルを脱却した。
要は、この世界は個々の人間にそんなに興味ないんだろう。
誰かだけがものすごく幸福になれる仕掛けになってる訳ではない代わりに、
特定の誰かだけが何一つうまくいかない、絶望的な状況に追い込まれる仕掛けになってる訳でもないらしい。
この世界はただあるだけ。自身のコトを特別に好き好んでいる訳でもなければ、追い込んで喜ぶほど嫌ってるわけでもない。
じゃあ、好き勝手に生きていこう。
愛されなきゃ生きられないわけでもない。誰も助けてくれないなら、こっちもいちいち周囲に気遣わずに好きに生きていこう。
もう、誰かの顔色をいちいち伺うのも飽きてきた。
あんまり好き勝手やってもアタマおかしい人になっちまうから(笑)、ほどほどに世間体向けの顔作るくらいはするけど
もういい。好きにやらせてもらう。また嫌になっちまったら、その時にまた人生の幕引き考えればいいさ。