さよならの小瓶。
10月13日、私は死にました。
高校生の頃から、私は大学院で日本文学の博士号を取得することを目指していました。
もともとは、自律神経失調症が大学卒業までに治る自信がなくて、社会に出るまでのモラトリアムと、(教職や学芸員への進路を検討した結果)社会に出てからの武器が欲しかったので大学院に進学したいと思っていました。
父にその話をしたら「文学で博士号は難しいぞ(→取れたらすごいね)」って。
当時、承認欲求だけで生きていた私は、すぐにそれが私の中でのスタンダードに変わりました。
でも、私、本は好きだけれど、それは趣味レベルでの話。
勉強とか仕事として義務化されたときにすごく苦しくなってしまったんです。
趣味だったものが趣味じゃなくなる。
趣味と勉強と境目が曖昧になって、しまいにはなにをしていても勉強しなきゃと追い込まれるような気持ちになりました。
極めつけは、父の知り合いの研究者の方にお会いしたことで、住む世界というか熱量の次元が違って。
今の自分をボロクソに言われてショックだったのもあり、限界を感じていました。
けれど、そういうのも見ないふりをして。
頑張ろう、頑張ろうって思っていたのですが、
満杯のコップに水をさらに注ぐように自分の中から何かが零れてくのを感じていました。
あの日はうさぎさんと会っていて、なんとなく私の様子がおかしいのを心配されていました。
最初は大丈夫だよ、何もないよ、と言っていたのですが、
つらいこと・嫌なこと黙って隠すのは、あの頃と同じだなって。
だから話してみることにしました。
ぎゅーってしてもらいながらぽつぽつ話しました。
頑張るのつかれた。
限界かもしれない。
本のお仕事したくない。
文学なんて好きじゃない。
認めてほしかっただけなのに。
いっぱい色んなもの棄てて頑張ったのに。
認めてほしい。
びっくりするほど本音がぼろぼろ零れてきて。
何かが自分の中でぷちんって切れたみたいに涙が止まらなくなりました。
(鼻水も止まらなかった)
うさぎさんは今まででいちばんぎゅーってしてくれて、
(鼻水つくんじゃないかってすごく焦った)
仕事にしたいものに限界が見えるとつらいよねって。
それから。
「もう諦めていいんじゃない?十分頑張ったと思う」
あぁ、今この瞬間私が死んだんだなって思いました。
頑張らなくていい。諦めていい。
救われた思いでした。
小さい頃、白馬の王子様が迎えに来てくれる白雪姫に憧れていましたが、
この人は私をママとパパのいい子の呪いから解いてくれる「王子様 」なんだなって思いました。
残念ながら白馬に乗った王子様ではなく、自転車で壁に激突するかわいらしい王子様ですが。
頑張らなくても認めてくれる人。
ずっとほしかったものを、私は今手にしているんだなぁって。
今までの価値観をがらりと変えてしまう出来事だったので、新しい勝手に慣れるのは時間がかかりそうですが、ゆるゆるやっていこうと思います。
多分大学院は(博士までいかなくても)中高教員の専修免許を取るために多分進学することになるのかな?と思います。しかも諦めていいとわかった瞬間色々その分野でやりたいことが出てくるような不謹慎なやつだということが発覚(笑)
私は私のために生きるのです。
11月頭の文化祭、終わったら頭がものすごく痛かったけれど楽しめました。
成長したよ、15歳の私。