愛されるとか愛するとか
そんなのは後からついてくるもんであって、愛を語るにはまだまだ早いのではないか。
愛とか本来は口だけで押し計れるものではないものであって、これをされたからイコール愛とは言い切れないものだと思うのだがどうであろうか。
突き放す愛もあれば、あえて冷たくするその人なりの愛もある。ただ優しいだけに思われる行動や言葉が必ずしも愛とは言い切れない。うわべなら取り繕れる誰だって。媚を誰かに売るのも簡単だし褒めるのも簡単。だけど何を思いながらその行動をしているのかは当人にしか知るよしもない。
人は簡単なように見えても案外複雑な生き物であるから、自分もそうであるように他人もそうであって推測はできても決定打がない限りは、ただのその人なりの想像でしかない。
何が言いたいのかって、本人のことは本人にしかわからないものであり、いくら理解を示してほしかろうが共感されたかろうが苦しみや辛さは本人にしか本当のところはわからないというところ。
わかりやすく言うのなら人は人、自分は自分って考えの人は割り切った考えの持ち主であるけどもこの考えは必ずしもマイナスとは言えないことがあって他者によって心が不安定になるのなら、この考えこそ一番その人を生きやすくしている土台といえるし世の中本質的に見てみれば皆んな誰しも都合の悪いことに関してはこのような考えをしているのではないかと思う。それが良い方向に向けばこうした生きやすくなる土台を自分から作れるのかと。