ジェンダー意識と自分らしさの小瓶。
もうそろそろ向き合ってもいい頃かなって。
私は、かわいいものが好きです。
ふわふわのぬいぐるみや、
チェックのマフラー。
カラフルなマスキングテープに、
レースのハンカチ。
そういうものが好きです。
けれど、それを好きだと言えるようになったのはつい最近です。
私は男女関係なく仲良くする方ですが、
どちらかというと男の子とウマが合うみたいです。
幼い頃は意識していませんでしたが、
中学に上がって男女関係が絡むようになると、
男好きのレッテルが貼られたり、
恋愛感情によって相手との友情がこじれたりするようになり、
異性と接する時は徹底的に女の子らしさを排除しようとするようになりました。
特に、中2・中3の時は
同学年の生徒会役員に女子が私以外いなくて、
他のメンバーから浮かないように
他のメンバーや一般の生徒から女だからと馬鹿にされないように
男として振る舞おうとしていました。
今思うと、弱い自分でいたくなかったのもあったのだと思います。
持ち物は男ものに変えました。
服装も、スカートはおろか、
膝から上を露出するものは絶対身につけなくなりました。
髪も、美容院なんか行くと媚びていると思われそうで、1000円カットで邪魔にならないショートカットをキープしていました。
今となっては黒歴史ですが、当時は本当に男になりたくて、一人称を僕や俺に変えていました。
(宛メにも残っている恥ずかしい中二病の思い出)
それでも、
私の顔は残念ながら男性らしくなく、
声は高くてキンキンして、
仕草も(直そうとはしたものの)女の子のそれのままで。
そんな不釣り合いさが大嫌いでした。
去年の春先、お付き合いしている相手がいた時は、相手が「可愛げのある彼女」を求めていたので
無理して、女の子らしさを安く押し売りしました。
そういう自分に吐き気がしました。
関係が消滅してからも度々、
身体をまさぐられた感触を思い出して
臓器ごと体内からえぐり出して、ごしごしと擦って洗いたくてしようがない衝動に駆られました。
男の人と、男として人付き合いをしたかった。
女である自分が嫌いでした。
なんで私は男じゃないんだろう。
女である自分を少しだけ許せたのは、去年の冬のことでした。
新しい手袋が欲しくて入った雑貨屋さんで、くまの手袋を見つけました。
女の子らしさを忌避してきた私は店内を1時間(!)歩き回って逡巡してから、
その手袋をレジに持っていきました。
購入した手袋をつけた時の感情!
罪悪感もあったけれど、それ以上に
「あ、私、かわいいものを好きでいていいんだ」と思って、くすぐったい気持ちになりました。
それから私は少しずつ女の子になっています。
サーモンピンクの薄手のニット。
勉強中のメイク。
スカートはまだ抵抗があるけれど、
この夏にはオレンジのてろんとしたキュロットを買いました。
明日はタイツにショートパンツで出掛けようと思います。
少女漫画を読んでキュンキュンすることに罪悪感を感じることが少なくなりました。
今集めているものはパンクッション。
緑色が中心の自室のベッドに並んだパンたちがかわいいです。
最近気づいたのですが、
アニメの女の子のキャラクターや女子アイドルが好きなのは、「女の子でいることをよしとされる」ことに対する憧れだったみたいです。
女の子であることの喜びを全力で享受している彼女たちが羨ましかった。
クラスメイトの女の子たちにどぎまぎしてしまうのも、
(苦い記憶によって同学年の同性に苦手意識を抱いているのもあるけれど)
やっぱり女の子らしさへの憧れだと思います。
女の子が好きな女の子を演じていましたが、
それは変わり者を演じることで他人の目をひこうとしていたのもあるけれど、
どこかで元彼の新しい彼女が、友人間で惚気話をしやすいように気を使っていました。
本当は、お道化でしか気を使えない自分に腹が立っていました。
先日、元彼が
彼女をふった罪悪感から逃げるために連絡をよこしてきました。
そして数日後、好きでもないその彼女とよりを戻しました。
私は都合よく使われる女なんだなぁと思って、女の子らしい自分なんてやめてしまおうかと思ったけれど、
こっちのほうが自然なんだもん。
私は、かわいいが好きな私に戻りたいと思います。
結局、まわりの顔色をうかがって、
自分で自分をがんじがらめに縛り付けていただけなんです。
けれど、私は正直に生きると決めたから。
だから、
女の子らしいものが好きな自分も、まる!
いつか自分のことを好きになって、
その時にもし誰かとお付き合いすることになったら、
今度は等身大の私が好きな私を
好きでいてくれる人と一緒にいたいなぁ。