回顧の小瓶。
最近、頂いたお返事のお陰で自分の中の大きな気づきがあったので。
自分的どん底(中2~高2)の時、なぜだか自分のまわりには「助けて欲しい人」がたくさんいた。
今までの小瓶にも書いてきた共依存関係にあった元彼や、自殺未遂をした後輩が最たる例だけれど、他にもリストカッターが何人かいたり、家族に問題がある人がいたり…
狭い交友関係の中で、指折り数えたら両手が塞がる程度にはいた。
そして、そんな人たちが放っておけなかった私は、しょっちゅうそんな話を聞いて、でも何もできなくて無力感を感じて、心が荒んでいった。
メサイアコンプレックスとは少し違うけれど、あの頃の私は病的なまでに助けたかった。
それは、本当は私が助かりたかっただけだったのだと最近気づいた。
助けて欲しいという欲求を他人に投影して、助けてもらえない自分を満たそうとしていた。
でも、結局助けられなくて罪悪感を抱いて、
「次は助けるんだ」と新たな困っている人を新規開拓していく。
今思うとそんな悪循環に見事にはまっていた気がする。
意外と、宛メでよく見る
「私のまわりには困っている人がたくさん」
「まわりが頼ってくる人ばっかり」
みたいな小瓶は、
結局自分が助かりたいからまわりを助けていて、それが苦しいんだ、っていうのが当てはまりそうだなぁなんて。
中学の環境や人間関係を抜けたお陰で今はそういうことが全然ないけれど、
もしまわりに辛い思いをしている人がいたら、きっとまた私は「今度こそ助けたい」と思って色んなものを背負い込む気がする。
私の自己犠牲は自暴自棄をはらんでいる。
でも、もう私は「この人と一緒にいて自分を大事にしようと思える」人としか付き合いたいし、助けるならそういう方法しか取りたくない。
(実践できると言い切れる自信はまだない。)
私も、私のまわりの人も笑っている、そんな人間関係がいい。
私は、まず私を助けてあげなくちゃ。