ずっと、自分が「4 番目の人」で悲しかった。大事なあの子達が居ない今だけは、こいつで我慢しとくかって扱い。普段は全然気にしてもらえなくて、空気みたいな。それでいつも最後は、完全に忘れられて孤立したり、はぶられたり、ひどいときには無関係な人にまで聞こえよがしにいわれのない悪口を言われてた。
本当に本当に悲しくて、眠れなかったし、体が重たくて、所構わず涙が止まらなかった。授業中さえ泣いてた。それでも誰も気にしてくれなかったんだけど。そして、死ぬ方法を調べて、そのシミュレーションばかりしていた。親が悲しむだろうと思って、どうしても踏ん切りがつかなかったけどね。
今、不思議と、楽しいなって思うことが多くなった。少ないながらに友達が居て、勉強も面白い(私は大学生)。今はコンパの幹事を押し付けられて嫌な気持ちだけど、死にたいとまでは思ってない。むかつくなとは思ってるけど。笑
沢山の辛そうな宛名のないメールを読んで、どうやって自分はあの頃をやり過ごしたのだろうと考える。勉強かな。勉強して、自分は頭が良いんだと思うこと、他の人に頭がいい奴だと思われることが拠り所だった。多分頭が良くなかったら表立っていじめられてたと思う。
あと、趣味。学校というのは息苦しくて、一日中、一年中、ずっと同じ面子。一回関係が駄目になると、駄目な状態が続いてしまう。校外に繋がりを持つのが大事だったのかな、と。私は当時からホームページをやっていて、同い年の他の管理人さんと息があってよく長いメールをやり取りしてた。今も交流がある大切な友達。私はホームページをまだやっているので、連絡が途絶えてもまた連絡できるようになってる。
それから、塾の先生とよく話をした。家庭にも鬱屈したものがあったけど、信頼できる大人が居てくれて本当に良かった。私の親は学校のことも勉強のことも、自分で勝手にやってろって感じだったから。その頃の親のことは覚えてないけど、先生が言ったことは覚えてる。
学校は地獄みたいだったけど、地獄じゃない場所があったから、何とか時が経ち、やり過ごせたんだと思うな。
それから、有り難いことに、私の友人はみんな優しいし誠実です。正しくあろうとして損をした分が、高い徳を持つ友達になって返って来たのかも。そういう良い人に選んでもらえたのは、人の心に敏感だからだろうなと思います。
友達なんて居ないって思うかもしれない。私も居なかったし、一生できないまま死ぬんだって思ってました。でもいつかはできるかもしれない。
私は、悩んでる人の味方です。誰も心配してくれない、自分のことなんかどうでもいいんだって思ってる人。私はあなたの友達だよ。いつか会えたら、ご飯でも食べに行こうね。
P.S. コンビニの店員さんでも、配達のお兄さんでも、誰でもいいから「有難う御座います」って言ってみると、何となく気分が晴れることもあるよ。