大変苦労されてきたのですね。
自身が疲れたと感じたら休んでいいものですが、休んでいいかどうかも人が決める環境だったのでしょうか。
ご自身の状況を自身で把握出来ないほど、自身では「〇〇な状態だ」と言ってはいけないのではないかと遠慮されてる文章に感じました。
私は兄の自殺、自身の休職と自殺未遂を経験しました。
その経験から話させてもらいます。
ストレス解消はあります。
鏡を見ながら、声に出して自分を褒めて許すことです。
「ひたすらに人に尽くせる自分は偉い!」
「人が求めるものに頑張って応えて偉い!」
「あんなに尽くしてきたのに、助けを求めないなんて自分は超人か?!」
なんでも構いません。
少しでもよくやってると思うことや、思えなくとも頑張ってきた事実があるなら、それを無条件で褒めます。
そして、自分で自分を褒めることは「自分を許す」ことになります。
ストレスといっても、同じ言葉を使っていても人によってその言葉が指す出来事が違います。
「思い通りにいかない。」
ある程度の上の立場にいて、人に指示を出したり自ら動いても思ったように物事が進まない。
「思い通りにいかない。」
ただ平穏な日々を過ごしたいのに、「アレをしろ」「コレはこうだ」「早くしろ」という命令が毎日あり、落ち着いた日々が送れない。
しかし、どちらも許し合うことで解決します。
「物事は思い通りに進まないものだ。人に指示だけしても、自分のイメージ通りに伝わっているとは限らない。」
前者に対してですが、人を許すと同時に自分も許しています。
部下や同僚ど仲間になり、利益優先の会社側とどう交渉しようか考えられるかもしれません。
「自分は平穏に過ごしたいのだから、指示があっても出来るか出来ないか自分で決めていいんだ。あの人も会社に圧力かけられて、そう指示を出さざるを得ないのだろう。」
後者に対してですが、こちらも自分を許して相手も許しています。
上司や同僚と仲間になり、それでも会社の方針が合わない職場なら別の環境を求めるかもしれません。
人は不完全です。
完璧に指示通りに出来ません。
出来ても必ず失敗します。
何故なら、不完全な指示だからです。
自身の不完全を誰かに助けて欲しい。
助けてくれるはずだ。
何故、助けない?
このような想いが巡っている世の中のように思います。
小瓶主さんは助けること、奉仕することを義務付けられてきたので、そのような雰囲気に敏感ではないでしょうか?
人に自分の意見をどう伝えればわかってもらえるのか練習する機会がなかったのではないでしょうか?
一方的に尽くすように、「優しい」を強要された生活だったのかもしれません。
もしかすると、ご家族の方々も「優しさ」の犠牲になったのかもしれません。
社会から「いい人」「優しい人」とされて、様々な人の負の部分を受け入れてきたのかもしれません。
ですので、頼れるのが身内である小瓶主さんだけだったかと。
もっと外に求めていいと思います。
求めれないようにと頑張ってきた人に
「毎日死にたい」
と考えざるを得ない人が多いように感じます。
自分の不完全さを許して手伝ってもらう。
相手の不完全さを許して、手伝ってあげる。
バランスが崩れて求める人、与える人に分かれてしまっています。
人は誰でも求める人になるし、与える人にもなる。
善にも悪にもなる。
変わらないのは、それら全てが「自分」であるということ。
どうか、様々な部分のあるご自身を
声に出して許してあげて下さい。
長文失礼しました。
・・・小瓶を見る