LINEスタンプ 宛メとは?
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クロ
大変苦労されてきたのですね。
自身が疲れたと感じたら休んでいいものですが、休んでいいかどうかも人が決める環境だったのでしょうか。
ご自身の状況を自身で把握出来ないほど、自身では「〇〇な状態だ」と言ってはいけないのではないかと遠慮されてる文章に感じました。

私は兄の自殺、自身の休職と自殺未遂を経験しました。
その経験から話させてもらいます。

ストレス解消はあります。

鏡を見ながら、声に出して自分を褒めて許すことです。

「ひたすらに人に尽くせる自分は偉い!」
「人が求めるものに頑張って応えて偉い!」
「あんなに尽くしてきたのに、助けを求めないなんて自分は超人か?!」

なんでも構いません。
少しでもよくやってると思うことや、思えなくとも頑張ってきた事実があるなら、それを無条件で褒めます。
そして、自分で自分を褒めることは「自分を許す」ことになります。

ストレスといっても、同じ言葉を使っていても人によってその言葉が指す出来事が違います。

「思い通りにいかない。」
ある程度の上の立場にいて、人に指示を出したり自ら動いても思ったように物事が進まない。
「思い通りにいかない。」
ただ平穏な日々を過ごしたいのに、「アレをしろ」「コレはこうだ」「早くしろ」という命令が毎日あり、落ち着いた日々が送れない。

しかし、どちらも許し合うことで解決します。
「物事は思い通りに進まないものだ。人に指示だけしても、自分のイメージ通りに伝わっているとは限らない。」
前者に対してですが、人を許すと同時に自分も許しています。
部下や同僚ど仲間になり、利益優先の会社側とどう交渉しようか考えられるかもしれません。

「自分は平穏に過ごしたいのだから、指示があっても出来るか出来ないか自分で決めていいんだ。あの人も会社に圧力かけられて、そう指示を出さざるを得ないのだろう。」
後者に対してですが、こちらも自分を許して相手も許しています。
上司や同僚と仲間になり、それでも会社の方針が合わない職場なら別の環境を求めるかもしれません。

人は不完全です。
完璧に指示通りに出来ません。
出来ても必ず失敗します。
何故なら、不完全な指示だからです。

自身の不完全を誰かに助けて欲しい。
助けてくれるはずだ。
何故、助けない?

このような想いが巡っている世の中のように思います。

小瓶主さんは助けること、奉仕することを義務付けられてきたので、そのような雰囲気に敏感ではないでしょうか?
人に自分の意見をどう伝えればわかってもらえるのか練習する機会がなかったのではないでしょうか?

一方的に尽くすように、「優しい」を強要された生活だったのかもしれません。

もしかすると、ご家族の方々も「優しさ」の犠牲になったのかもしれません。
社会から「いい人」「優しい人」とされて、様々な人の負の部分を受け入れてきたのかもしれません。
ですので、頼れるのが身内である小瓶主さんだけだったかと。

もっと外に求めていいと思います。
求めれないようにと頑張ってきた人に
「毎日死にたい」
と考えざるを得ない人が多いように感じます。

自分の不完全さを許して手伝ってもらう。
相手の不完全さを許して、手伝ってあげる。

バランスが崩れて求める人、与える人に分かれてしまっています。

人は誰でも求める人になるし、与える人にもなる。

善にも悪にもなる。

変わらないのは、それら全てが「自分」であるということ。

どうか、様々な部分のあるご自身を
声に出して許してあげて下さい。

長文失礼しました。
・・・小瓶を見る
クロ
大変難しい状況にあるのですね。

その年代の男性に恋愛感情無しで、友達付き合いをしたいといっても難しいところがあるかもしれません。
あなたの「気持ち悪い」と思う気持ちを変えるのが難しいように、相手の「好き」という気持ちも理屈ではないのでしょう。

小瓶に書かれたような男性に嫌悪感がある事を話せて、男友達との間に入れそうな女性の友達がいれば説明がしやすいかもしれません。

あとは男性と連絡を取らずに、今の人との付き合いを維持していくのを考えるか。

その男友達を介さないと連絡の取れない人がいるから困っているのでしょうか?
その男友達の人には悟られないように直接連絡を聞くや、他に共通の知人がいないか聞いてみるなどは難しいでしょうか?

最後に小瓶主さんの本気度が分かる行動でしょうか。
言葉だけでは勘違いしているのだと思います。
時間が経てばと、一年越しに連絡を取るようになったことを根拠にタカを括っているのかもしれません。
親しくするのは性別関係なく、人としての交流が目的だからとわかるように第三者も居てもらい話すというのもありますかね。
ただ納得されないかもしれません。

私は男ですが、一緒に仕事をしていた一回り下の女性がいました。
好意を持っているような話し方をよくされました。
ですが、それは垣根がないだけで誰にでも優しい人で可愛らしい人なんだなと思っていました。
しかし、そう理解していない人は下心ありでナンパをするように話してきたり、セクハラまがいなことをしてきていました。
「俺のこと好きなんだろ?」みたいに言う人も。
確かに気持ち悪いです。
私が間に入ると敵にされましたが、押せばなんとかなると思い込んでいる人はたくさんいます。
なので、不本意ながらその女性の長所を短所のように、「こういう男性は多いから、そういう接し方は控えておいた方がいいですよ。自身を守るためですから。」と言うことになりました。

相手の思い込みを言葉や行動で変えるのは難しいと、私も心底思います。

解決策が出ず、申し訳ありません。
小瓶主さんに幸多きことを。
・・・小瓶を見る
クロ
疲れて当然ですよ。
体ではなく、気持ちですよね。

最後に言われている「言いたい事が言えてスッキリした」とあるように、自身では小さい事とか人の迷惑になるかなと遠慮して話さなかったことが溜まっていませんか?
溜まっていくと、他を考えることが難しくなっていきます。

感じたことや思ったことは、何かの形で表現してようやく解放されます。

感情は水槽のようなモノと思って読んでみてください。
蛇口が小さく1つしかなかったり、蛇口が閉じている場合、すぐにいっぱいになります。

水槽につける蛇口を表現する方法や場面としてみます。

話す、文章にする、絵にする、ダンス、演じる、スポーツなど体で表現するなど。

そして、それぞれに個人に向けて、親しい人に向けて、複数に向けて、自分に向けてなどたくさんの方法と場面の組み合わせがあります。

今は親に話す、先生に話す、友達に話すしかないかもしれません。

しかも、それがほとんど閉じた状態。

お父さんやお母さんも同じ状態かもしれません。
大人になるにつれて、様々な表現方法を身につけていきますが、それを使えている人は少ないです。
他人の心ない一言に閉ざされたり、会社に閉ざされていたり、自ら閉ざしていたり。

気持ちの水槽に余裕がないと、人の分を引き受けることが出来ません。

小学生という年齢で、周りとの関係に疲れを覚えるほどです。
ひとりで寂しい想いをされていることと思います。
お辛いことでしょう。

是非、「この人楽しそうだな。」「この人はどうしてこんな事が出来るのだろう?」と思う人とつながってみてください。
たくさんの表現方法で、仲間を増やしたり、1人でも世間とのつながりを感じて楽しくすごしている人はいますよ。

近くの人でも、動画の人でもいいです。
参考なったらと思います。
・・・小瓶を見る
クロ
私も承認欲求にすごく悩んだので、気持ちがわかります。
今でも悩むことはあります。

認めてもらえると安心しますよね。
許して欲しいに似てるかもしれないです。
何が正しいかわからないから、認めてもらうことで許されて、安心したいのかもと私は思います。

小瓶主さんは、ただただ頑張って傷ついてこられたんじゃないですか?
人が求めるモノを、身を削って差し出してきたのかもと感じます。

分からないって不安ですよね。
不安だと怖い。
恐怖から孤独感が増す。

ただ一言
「頑張ってるから、大丈夫だよ。」
みたいに許して欲しい。

頑張っても許されず、ずっと求められたから。

そんな小瓶主さんは、ご自身でも自分を許せなくなっていませんか?

私は自分で自分を許すことで、少し楽になりました。

週末にする自分へのご褒美の特別版みたいな。
甘い物があるわけではないけれど。

「初めてのことにチャレンジして偉い!」
「初めてのことだから、失敗して当たり前だよ!」
「そんな失敗の後でもフォローして偉い!」

「頑張ってきた自分偉い!」
「それでもまだ、頑張ろうとしてた自分偉い!」

もし、こうして自身を許して気が抜けても
「自分のSOSに気づけた自分偉い!」
みたいに責めないであげてください。

その後は、本当に自身の気持ちが向くものに出会えるまで許してあげてください。

もう今まで頑張ったのですから。
小瓶主さんに幸多きことを。
・・・小瓶を見る
クロ
大変な想いをされたのですね。
小瓶主さん自身も助けを求めている状態で。
それでも自分がと立ち上がられた。

なかなか人と向き合える人はいませんよね。
親といえども。

血縁関係でない人なんて特に。

本来、親や血縁関係の人が行うことを小瓶主さんが引き受けているようになるので苦しくて当然です。

産まれた時からみていて癖や好き嫌いを10年以上見てきて言える言葉、いや、それでも言えない言葉を小瓶主さんは向き合い必死で考えている。

実の親でもなかなか出来ないことをされているので、苦しいはずです。

小さなことの積み重ね。

あの時言えなかった。
あれはどういう意味だろう。
何故、そんな顔をするのだろう。

少しだけ、毎日一言二言。
適当なことでも、わからないと言ってくれてもいい。
小さな不満や不安が積み重なって、自身が潰されないように聞いてくれさえいれば。

実の親でもなかなか出来ないこと。
子と向き合うこと。

それを他に求めている状態を受け止めているので、大変苦しいと思います。

仲間として、絡まった糸を解くように
一つ一つ事実とその時の気持ちを聞くのが
精一杯かもしれません。

それでも、十分過ぎるほど人により添える良い人だと私は思います。
・・・小瓶を見る
クロ
私は口に出して言ったからこそ、自分の気持ちに気づいて疑問に思えたんだと思います。

言っちゃいけないか、悪いかなんてわかりません。

その少し怒ったような先生も
「病気した子は可哀想に決まってる」

「病気は誰だって大変に決まってる」

「病気をした子を放っておくのは世間的に許されないに決まってる」

様々な思い込みがあったのでしょう。

学校が嫌で嫌で入院出来て安心する子もいるでしょう。

学校のイジメや家庭での虐待に比べれば優しくしてくれる病院の方が何倍もマシと言う子もいるでしょう。

全然気にして欲しくないのに、自分が非難を浴びるから頻繁に連絡をとってくる教師を嫌がる子もいるでしょう。

思い込みは想像する事を放棄させます。

小瓶主さんは何故だろうと考えられているので、柔軟な発想の持ち主ではないでしょうか。

確かにミュンヒハウゼン症候群に似てます。
ただ症状に名前がついたからと言って解決するものではありません。

求めるものは、原因となるものや本人から得られないと解決しません。

注目を浴びたい、話しをして欲しい、落ち着いて接して欲しい、許して欲しいなど。

他から得られるのは一時的な満足です。

私も不幸を手に入れようと行動していた時がありました。
不幸を手に入れると許してくれます。
不幸を手に入れると愛してくれます。
不幸を手に入れると幸せになります。

しかし、その不幸をずっと訴えるわけにはいきません。
「ずっと前のことでしょ?」
「みんな大変なの」
「かまってちゃん?」

また不幸を手に入れなければと思い出します。

私の場合は兄が脳に障害があり、両親はいつも「兄は病気だから」と兄を優先していました。
障害者がたくさん出演するテレビ番組が大好き。
そして、普段はどんな事があっても「学校に行け!」と言っていましたが、高熱が出ると優しく休ませてくれました。
嫌いな習い事も疲れて寝てると行かなくていい。

行きたくない、やりたくないと言うと怒り出し、理由も怒りながら問いただされます。

病気になれれば、体の自由が効かなくなれば、不幸を手に入れられれば。

今になって分析すればですが。

親にも理由があります。
兄のことで本当に苦労して、私を気にする暇はありません。
自分を認めてくれる人はいないので、同じ境遇の家族をみて、自分は頑張ってると認めてあげたり。
辛そうな我が子をみるのは心苦しいけど、学校に行けなくなったら将来が閉ざされる。
そんなに疲れてるなら、習い事なんていかなくていいよ。

こっちはあなたのことを想って言ってるの。
どうしてわからないの?!

お互いに言葉にして確認する作業が足りていませんでした。

小瓶主さんはご両親に聞きたいことや、生活に関係する人に聞きたいことはないですか?
聞いた時には時間がなく、邪険にされていたとしても、タイミングが合えば教えてくれたりしますよ。
時間のない、余裕のない世の中は若年層にしわ寄せが行きますから。
私も改めて自分を律しようと思いました。
ありがとうございます。
・・・小瓶を見る
クロ
トム・クルーズは台本が読めないことは有名です。
セリフを人に読んでもらったものを録音して聞いて覚えます。
その代わり見たものやイメージしたことを体で表現することが得意だったり、恐怖に感じる程度が人と違っていて過激なアクションをこなせます。

ハリウッドスターを出すと「他に特別な能力があったからだよ」と思われるかもしれません。
しかし、可能性があるという意味では一緒です。

言葉が苦手なら別の興味のあるもので表現してみてはいかがでしょうか?

話しが得意なグループに属していませんか?
そのコミュニティーがすべてではありません。

映像記憶が得意な人は話すのが苦手な傾向にあります。
嫌なこととか何気ない出来事が映像で蘇り易くはないですか?

文字をすぐに言葉に変換できるのが普通と思っている人と、文字はただの形と認識していて言葉に繋げるのが苦手な人もいます。

頭の中のイメージは人と共有し辛いですから、その属しているコミュニティーの人と同じイメージで考えられてるとは限りませんから。

周りと比べる相対評価だと環境で自分の価値が変わってくるので、これからも落ち着かないと思います。

ご自身の癖を理解されると環境に影響されないように出来るかもしれませんね。
・・・小瓶を見る
クロ
『みんなに好かれる人がいないのと同じで、みんなを好きな人もいないと思う。

人間は、みんな誰かのことが嫌いってこと。

もし、嫌いな人がいないっていう人は、誰のことも好きじゃないと思う。

もし、みんなに好かれてる人は、本当にその人のことを好きな人はいないと思う。』

小瓶主さんのおっしゃることは真理をついてますね。
物事に対して、好きか嫌いかで仕事しますけど、人を好きか嫌いかで仕事しないですね。
そういう人物とだけ捉えて接します。

同じ空間にいないといけない時は、その人物の背景を読み解き、近ず離れずで過ごします。

大抵は生活環境の「何か」が足りていないので、他で補っています。
核家族が多いので、親や兄弟姉妹からですかね。

認めて欲しい人は手柄を探しています。
手柄を得たら、誰より偉いのか主張します。

注目して欲しい人は自身の能力に見合わない行動で気を引きます。
しかし、能力がないので責任まではとれません。

会話をして欲しい人は出来るだけ長い会話になるように、相手から話を求めるように要求します。

優越感を得たい人は必ず勝てる人を探します。
どこかで勝ればいいので、条件なんて関係ありません。

相手して欲しいんですね。

聞いてあげよっかなぁ。
今は忙しいなぁ。
他の人を巻き込んで有耶無耶にしよう。
1人で相手してたら疲れたわぁ。

くらいに、小瓶主さんの気分で相手してあげてるって感じでいいのではないですか?

世の中が歪んでますので、家庭環境も歪んで当然です。
皆、足りないものを他で埋めています。

気分で決めていいと思いますよ。
・・・小瓶を見る
クロ
「女性は基本的におしゃべり好きだから仕方ない。」

「女性は科学的に理論で考えることが不得意で、感情でものを言う。」

この2つは短所のように言っているので、聞いた人は不快に思われるかもしれないですね。

私が個人的に聞いた話をもとに考えたことですが、興味がありましたら読んでみてください。

女性は右脳と左脳の情報を伝達する海馬という部分が発達しているそうです。
会話は連想ゲームです。
2つ以上の単語が結びついて、過去の記憶が呼び起され言葉として発せられます。
その連想する能力に長けている女性の方が次から次に話が出てきやすいと思います。
知人に話しが得意じゃないという女性がいますが、親に小さい頃にうるさいと言われたり、話しが面白くないと言われた過去が話すことに苦手意識を持たせているだけで、話していいんだと思えるとどんどん話してくれます。

理論的な話というのは、単に単純化したものを指している場合もあります。
筋が通った話でも複雑になると「ややこしくて話しがみえないから、理論的に話して。」という人もいます。
理論的=筋の通った話ではなく、理論的=単純明快な話としてとらえている人もいますので、「理論的」の一言で言った人と意思疎通出来ているとは限りません。

あと、私がそうかもなと思っているのは「男性は狩りをして生計を立てていた。女性は家庭を守っていた。」という名残です。
こういうと男女差別と今の時代の人は言うでしょう。
生物的にそういう傾向にあったから、言葉が数種類しかなかった太古では討論と呼べるものはなく、役割は自然と傾向に沿ったものになったと考えた方が納得できないでしょうか?

男性脳の人は「攻め」の傾向にあります。
拠点にいるだけでは獲物は捕らえれません。
噂で「○○の崖に大量の木の実があるらしい。」とあればすぐに探しにいくでしょう。

一方、女性脳の人は「守り」の傾向にあります。
守るためには何が必要か?
「不安」です。
不安が無ければ対策を講じません。
不安があるのでネガティブな噂話を多く仕入れます。
最悪な状況にならないために必要なことなのです。
もし、先のように「○○の崖に大量の木の実があるらしい。」と噂話で聞いても危険だとリスクの方を考えるでしょう。
自分や家族を守り、拠点を守り、「安心」を手に入れる方向に向かうでしょう。

しかし、今の世の中の仕事で「何かを得る」仕事の方が圧倒的に多いです。
ですので、本来の防衛機能である「不安」が邪魔をして一歩前に出れなかったり、プロジェクトの問題が気になってなかなか進めずに悪者扱いされるケースもあるかも知れません。

ですので、男女差別だとか男性社会が悪いというのは一旦おいておいて、そういう人間の作りかもしれないと得意分野に目を向けてみてはいかがでしょうか?

「安心安全」を提供するビジネスは向いているかもしれませんね。
セキュリティや衛生面、くつろぎの空間の提供、食の安全などは女性が力を発揮されているように思います。

私の勝手な考えで申し訳ありません。
長文失礼しました。
・・・小瓶を見る
クロ
学びたいのか、評価されたいのかの違いですかね?
小瓶主さんは断然、学びたい派ですね。

日本は「学び」としながら、「評価される」ことを目指す教育になっています。

どうすれば「評価される」のかを「学んでいる」状態なのでしょう。

それも社会の仕組みを「学ぶ」と捉えて、勉強を手段としている人もいます。

一度、人間社会について学ばれてはどうでしょうか?

やりたい研究も結局は、予算をつけるのは政府だったり研究機関のトップだったりしますし、必ずぶつかります。

「こういう理由で親は強制してきたのか」

「世の中の流れがこうなってる時代だから、こういう人間が多いのだな」

と理解出来ると

「じゃあ、どうしようか?」

になるかも知れません。

私はわからないことをわからないまま進めるのが怖いし、嫌だし、面倒です。

風が吹くと、桶屋が儲かるみたいに繋がりがわかる話が好きです。

風が吹く

土埃が舞う

土埃が目に入る

失明者が出る

その当時、失明者の職は三味線の弾き語り

三味線が売れる

材料の猫の皮が足りなくなる

町中の猫が捕まえられる

天敵が減って、ネズミが増える

ネズミが桶をかじる

底に穴が開いた桶は使い物にならない

桶を求める人が増える

人にも理由があります。
人を分析してみてはいかがでしょうか?
・・・小瓶を見る
クロ
この小瓶を拾って、すべてに応えたいと思いました。
「答え」ではないので、正解ではないです。
私はあなたにこの場を借りてという形で甘えさせてもらいます。
興味がありましたら読んで欲しいと思います。

『まず子供を作るなら、その子供を必ず幸せにしないといけない。誰の念頭にも当たり前にそれが1番に来ると思います。』

この大前提が守れる人は多くないでしょう。
時には思ったことがあっても、ずっとは思っていれません。
人としての土台作りに大きく関わっていくのは確かですが、自分の未来さえわからないのに我が子とはいえ、別の人間の未来を作り上げていくなど不可能です。
今の過度な労働を強いる環境では、子供を幸せにするというのは並大抵の想いだけでは実現し辛く、また想いが強くとも身が持たないのではないでしょうか。

『しかしほとんどの人間はどうやっても楽しいことより苦しい時間の方が長いです。まず生きるために働かなければいけないし、娯楽を楽しむにも結局お金を稼がなければなりません。友人関係を築くにも相手との距離感に気を使ったり、何かしらの我慢を強いられます。』

大変に辛い時間が長かったのですね。
苦しいのはその時間が過ぎるのを我慢して、待ってる状態だからだと思います。
ここで、そんな状況でも楽しもうとは言いません。
本来、産まれたての子供は何にでも興味があって、自分が起こした行動に結果が出るのが楽しくてしかたないものです。
娯楽なんて知りませんし、娯楽かどうかも区別をつけてません。
親や周り、メディア等がおもちゃと思われるもの、娯楽と思われるものを与えてここだけが自由と教えていきます。
自分の望むものや娯楽以外は辛いもの、
我慢するものと教えられたために、切り分けて考えてしまいます。

『結局、よっぽどお金持ちだったり権力を有している人の子供以外は、人生のバランスにおいて「幸せ」より『不幸せ』の方が重くなります。』

本当に今の日本はそうですね。
一握りの人間にのみ許された幸せがあるようになっていますね。
そこで、それはどのように築き上げたかが重要になってきます。
そこには教育があります。
ずっと資産を持っておける、増やしていける家系には教育があります。
世の中の動きやお金の動きの教育。
一般の人ではなかなか知り得ない教育があります。
現在ではインターネットでその一部を学ぶことが出来ます。
私も勉強中です。
お金嫌いの原因がはっきりしないので、お金稼ぎに費やす時間を自分自身で作ろうとしません。

「多くの人が、幸せより辛い事が多いはず。

子を産む親だってそうなはず。

なのに何故子供を産むのですか?辛いことばかりなのに。」

おっしゃる通りです。
我慢しろと教育され続けるこの世の中では、辛い事ばかりですよね。
知識もつけさせてもらえず、知識をつける機会に気づくキッカケさえ得られず、種を残す期限の年齢まで来てしまう。
誰かや何かに雇われて働く以外を悪とされて、時間が足りない、お金が足りない毎日。
しかし、本当に1人だけでは孤独な世界。
ブライダル業界や育児業界は、理想の理想で固めたイメージを宣伝し続ける。
誰かと一緒になったら、子供が出来たら救われる気にさせられる。
本当に苦しい原因など誰も教えてくれません。
苦しんでもらった方が儲かるところも沢山あるので。
これは親世代というより、今の20代や30代の人の話かも知れませんね。
高度成長期を経て、バブル景気の時は働いてお金さえあればなんとかなっていたので。
お金がないので、お金でなんとかならない世の中になって経験してないので、親もわけわからないことでしょう。

「いや子供にもある程度大きくなったら責任を自分で持つ必要もあるし、何より自分でやりたい事ができるように努力するべきだと言う人も居ます。
当然一理あります。正論です。」
正論のように聞こえますが、この言葉をつかう方はあまり理解してないまま自分の感情をのせて使っているように感じます。
ある程度とは何を指すのか?
年齢?体格?精神?
世の中には、自分を大人だと思い込んでいる年齢だけ法律上は大人な人が沢山います。
自分も苦しんだから、お前も苦しめ!という人は大人でしょうか?
ボクがママに買ってもらったんだから、ボクのものだ!と言っている子供と変わらないと私は思います。
大人なら、どう手に入れるか教えられます。
ボクはママに〇〇を約束して、コレをもらったんだけど、君のママには話してみた?という感じに。
そうすると、自分専用の物が手に入るかもしれない希望が持て立ち向かう勇気を得ます。
その子がまた他の子を後押しして、皆が成長していきます。
私は教えられる人、教えようと頑張ってくれる人が大人だと思います。

『でも親としての責任は子供が死ぬまで果たされるべきでは?そして、理想としては辛いことが一切無いようにすべきだと思いますが、せめて幸せの比重が不幸せより重くなるようにすべきでは?』

親は超人や神ではありません。
責任にしては重過ぎます。
人としての土台を築く期間に多くに関わるので、成人しても影響が出続けるとは思います。
ですが、親離れ子離れがあるようにお互いを一人の人として見るようになってからは責任を負う必要はありません。
ただ、それまでの期間に親に遮られて苦しんだことや強制されて精神がすり減ってずっと引きずっているなど有れば、そのまま伝えてお互いが理解しあうことは必要でしょう。

『自分も将来やりたい事のために色々努力してきましたし、全部ではありませんが結果もある程度付いてきました。
しかし、「やりたい事の前準備」に「やったこと」が追いついた事がありません。

何が言いたいか。
つまり、やりたい事をやっても結果として前準備や後に帰らぬ思い出に風化する事を考えると

辛いことの方が楽しいことより多い=不幸

自分でやりたい事を努力して成し遂げても不幸せです。』

我慢すればするほど期待する気持ちが強くなりますよね。
何故、頑張るために我慢しなくてはいけないのかと考えます。
私も我慢し続けて、我慢が嫌いになって、人のいう努力が出来ません。
すべてに意味をつけてはどうでしょう?
近くの公園に行くまで、家までの帰りなどで自分ルールを作ったことはないですか?
歩道の白線や縁石をずっと渡っていくとか、よく吠える犬に負けないとか。
いつの日からか、「白線渡るのはみっともないからやめて!」とか「他人の家の犬を相手するな!」と言われて、決められたことしか出来なくなっています。
その決まりを作った人と意見交換して、自分のやりたいことを守ったり、別のやりたいことを見つけていく。
「やってはいけない」ばかりに支配さるてはいませんか?
それでは窮屈になり、やりたくないことばかり我慢して、目標を達成しないといけません。
その決めてくる人も、決められてきた過去があります。
その人もどうしていいか分からず、我慢しか出来なかった。
それを可哀想と思うか、意気地なしと思うか。
どちらでも構いません。
どちらでも、そんな人に支配されていたのかと期待する気持ちが無くなり、自分で決めたくなります。

『なのになぜ?そんな世界に子供を産むのですか?
圧倒的財力なども無い癖になぜ子供を産めるのですか?
本当に産まれてくる命を幸せにできる自信があって産んでいるのですか?』

難しい問題ですね。
こんな世界に本当は誰も子を産みたくないですよね。
子が親に幸せにしてくれと願うように、親も子に幸せにして欲しいと願って産むのかもしれません。
親もその子を個人ではなく、「子供」として見ているのでしょう。
可愛いはず。
無条件で慕ってくれるはず。
無邪気に笑ってくれるはず。
素直に言う事を聞いてくれるはず。
優しいはず。
迷惑をかけないはず。
押し付けているつもりは本人にはありません。
理想の子供をメディアをはじめとする世の中が作り上げていますから。
こんな風にいい商品ですよ!と言われて期待して買ったら、全然思い通りに使えない。
クレーム入れたいけど、メーカ側の連絡先がわからない。
その商品をどう扱うでしょう?
こんなことを言うと、子供とモノを同じように扱うなって言われます。
当然そうです。
その子として向き合っていればそんな話にはなりません。
ですが、状況を考えてみると「その子個人として」ではなく「子供という商品のように」扱っているように見たほうが納得いく場合もあります。
商品だってそうです。
商品にも個体差があります。
例えば、少し癖のあるカメラが通販で届いたとします。
ただの「商品のカメラ」として扱うのか、「自分のところに来てくれた相棒のような存在」として扱うのかで違ってきます。
後者の方は、どうすればより良いパートナーになれるか考えます。

その親が悪いのではなく、そういったイメージを作りあげている世の中と感じると理解し易くなります。
いくら自分の子供だからって、こんなに期待されたら重荷ですよね。
「神様に理想通りの子供を作ってもらえ!」ってなりますよね。
人は話さないとわからない生き物ですので、期待するなと話してみるのも手かもしれません。
近過ぎて、お互いの誤解に気づかずにお互い死んでしまうこともあります。

『結局、自分達が子供が居ないと楽しめない楽しみを味わう為に産んで、子供を産む責任を考えていないのでは?
この辛い世界への道連れを増やしているだけなのでは?

どんな考えで、どんな理屈で子供をこんな世界に産み落とせるんですか?

これが自分の問いです。』

この世界は対立させることで、お互いの本質を理解させないようにされています。

他国と自国
国と国民
他県と故郷
地域と家族
親と子
悪と善

2つに分けると人の頭でわかりやすく、対立をしてくれるようになります。
「親」として括ると、「親は厳しい」「親は命令してくる」「親は全責任を負うもの」「親は…」と自分の親ではなく、何処かから得たイメージで考えてしまいます。
個人名で考えてみてはいかがでしょうか?
何処か「親」のイメージと当てはまらないところが出てきます。
その何故を「何故、〇〇じゃないの?」と聞いてみるのです。
責めるような口調や口調は普通でも、相手が責められていると感じると対立して会話になりませんので仲間として。
「責めるとかじゃなくて、単純に疑問なんだけど」のように前置きするなど。
親も1人の人として話がしたいのだと感じた時に弱い部分を見せてくれるかも知れません。
生意気にと言われても、自分はもう大人だし対等に話たいなぁみたいに切り替えしてもいいかもしれません。
親も最初から仲間になりたかったのです。
だから、産んだのではないでしょうか。
ですが、想像つかないことばかりで自分の範疇を超えた出来事でいっぱいいっぱい。
その子を見てあげるより、命令して行動を制限した方が楽に生活が出来る。
そんな日々が続く中で、親とはこういうものというのがその人の中で出来上がってしまう。
戦後直後は親が亡くなっていたり、働き詰めで手本が親の背中だけ。
その後の高度成長期にバブルも働けば働くほど豊かになったので、深夜に帰ってくる姿や趣味に明け暮れる姿のみ。
手本がなく、自分で「親」のイメージを作ったり、見てきた親の真似を無意識にしたり。
そんな人に子が思う「親」のイメージを話してもピンときません。
ですので、親ではなく個人として聞いてみて「だから、こうなったのか」と理解されると今後の身の振り方が決まってくるのではないでしょうか。


『自分も親に育ててもらった事は凄く感謝しています。しかし産んで貰った事については恨んでいます。どんなに楽しい事があっても辛いことが勝つ。何もしてない時間が幸せ。』

親に育ててもらった事を自ら感謝出来るのは素晴らしいです。
私は未だに出来ていません。
育った過程で親がいなかった方がマシだったのではと思う場面も沢山あります。
こう言うと「親のいない子に失礼」とか、「親がいなかったらどんなに大変か」と言われますが、本当にすべて強制してやらせ、やりたいことをことごとく遮ってくる親でもずっといて欲しいと願ってやまないのでしょうか?
そういった影響を与える人物が近くにいなかったから、寂しいし別の不自由を感じたけど、自分で道を切り開いていける力がついた人もいるのではないでしょうか?
「親がいるんだから大切にしろ!」と言いますが、それはある程度模範的な親のイメージがその人にあったり、自身が親になって如何に思い通りにならず恨まれたかを体験してるからであって、こちらはわからないのですから自分の意見を親にぶつけていいと思います。
そこで本人から説明してもらうだけです。

『ああ、産まれる前ってどうなってたんだろう。自分としての意識も何も無かったのかも。でもその方が産まれるより幸せだった!

そう思いこんな駄文で乱文の疑問を投げかけさせて貰いました。』

そう思われるような出来事があったり、日常的に続いているのでしょう。
自分で考えた些細な事や大事なことを話せる練習を家庭で出来ず、練習なしの本番となる学校や地域の付き合いで傷つきながら頑張って、目標に辿り着いても思ったものと違う結果だった。
気持ちの整理もつかない状態なのではないでしょうか。


『自分は自分が嫌いで、自分を間違っていると思います。自分の考えについてぜひぜひ否定してください。

お前が辛いこと嫌がってるだけじゃねえか。

うだうだ言ってず、やる事やれ。

などなど、強めの言葉を投げかけられた事も少ないので、もしかするとその方が前に進めるかもしれませんしね。』

その気持ち、わかる部分があります。
私も自分が嫌いだと言っていました。
それに怒鳴られて育ったので、どうしても会社に行けないと思った朝に、母親に小学生の時に嘔吐してでも「行け!」と言った時みたいに「行け!」と言ってくれと電話したことがあります。
でも、それでは続きません。
理解してもらって、こちらも理解して「過去の事」にする。
そして、「今」を生きる。
さらに、「未来」に繋がる。
私はそう思います。

長文失礼しました。
・・・小瓶を見る
クロ
私は男で身長は163㎝です。
10年以上前のことですが、大学生の時に初めて彼女が出来ました。

今思うと、ということで書きます。

1.友達に眉毛の整え方を教えてもらった。

2.彼女がいる友達が買っている服屋で一緒に買い物をする。

3.自分から見てカッコいいと思う友達のいいところを真似する。

4.吹っ切れたこと

ある程度、世間が望むスタートラインに立って自分を出したのが良かったかもしれません。
私は顔に無数の赤黒いイボがありますが、手術をしてもコレは治らないと理解して、この顔で生きていくんだと思えたら吹っ切れました。
顔の作りは変わりませんが、顔つきが変わり印象が変わったのだと思います。

コンプレックスも口に出して悩みとしてではなく、しゃーないんよって感じで話してました。
背が低くくても、こういうこと出来る!とか低いからこんなこと便利!とか言うと笑ってくれてました。

友達の紹介で複数人の男女で遊んだ時に、ペアになった人とは別の人から連絡先を聞かれて付き合うようになりました。

彼女が言うには、この人なら何とかしてくれそう感が良かったみたいです。

小瓶主さんに当てはまるか、好き嫌いで出来ない部分もあるとは思いますが参考になれば。
小瓶主さんに幸多からんことを。
・・・小瓶を見る
クロ
小瓶主さんへ

「そんなことすら自ら選んでいるということなのか。」
という言葉が気になりまして、書かせてもらいます。

何かスピリチュアルな本でも読まれた経験が御有りでしょうか?
それとも、テレビなどで見聞きした言葉でしょうか?

この言葉は、誤解され易い言葉だと私は思います。
責任を全て独りで負わないといけないように感じるからです。

そうではありません。

私も言葉では上手く説明出来ないかも知れませんが。
「自ら」というのは無意識の部分を指すのではないでしょうか。

無意識とは、その名の通り意識していない領域です。
無意識の部分を自分で意識して作れている人はなかなかいません。
大抵は環境や過去の経験から作り上げられています。
「こうしたら失敗した」
「ああしたら成功した」
「あのタイプは過去に酷い目にあったから避けよう」
「あんな言われ方するなら関わらない」
など様々です。

選択する権利がほとんどなかったり、問題の解決策を知らない幼少期に出来た無意識が「今」の行動を決めていたりします。

「(無意識に)自ら選んでいる」とすればどうでしょう。
無意識部分に気付いて、意識して行動を変えれるんだと。

過去に苦しめられてはいないでしょうか?
すべて無条件に受け入れないといけない環境だったなど。
自分で選びとっていい世界ですし、皆は好きに選びとっています。


今の世の中は特に、〇〇したくないと他者に責任を押し付ける流れにあります。
助け合いの気持ちを持つ人がいいように使われる場面を目にします。

助け合いの気持ちが枯れてしまい、人を攻撃する側に回る人もいます。

気持ちを守るために他者との線引きをすることも、今の時代に大切かもしれません。

ご自身を大切にされて下さい。
失礼しました。
・・・小瓶を見る
クロ
小瓶主さんへ

小瓶主さんが最後に言われている

「自分の気持ちに素直になって、
怒ったり、泣いたり、笑ったりした方が、
よっぽど人間らしい。」

「そんな自分を許していこう。」

この言葉が真理だと思います。
そう、ご自身で思えたことに意味があると思います。


私には盲目にスピリチュアルな考えを信仰している母親と、小瓶主さんのように真理に気づいきスピリチュアル的な言葉の意味を理解している伯父がいます。

盲目にスピリチュアルな考えを信仰している母親は苦手です。
気持ちが落ち着くどころか我慢しかしておらず、どす黒い気持ちが心の奥で渦巻いています。
伯父はよく笑い、落ち着いて人に世の中はこういうものだと話すことができます。

スピリチュアルな言葉は、言葉だけ聞くと誤解するものが多いです。
そして、スピリチュアルを悪用して気持ちを押さえつける言葉になっているものもあります。

小瓶主さんが挙げられていた言葉について、私なりの解釈をいれてみましたので興味がありましたら読んでみてください。

「不平不満愚痴は絶対に言ってはいけない」
→『絶対』を使っているあたり強制力が強い言葉ですので、気持ちに自由がなくなります。
この言葉は、聞いた者をこのルールに縛り付けることになるので聞く必要はありません。
恐らく言葉には力があるので、マイナスな言葉を使ってはいけないと言いたいのでしょうが、それ以上に心を窮屈してしまう方がマイナスです。

「答えは自分の中にある。他人に答えを求めてはいけない」
→他者評価中心の行動をとっている人には、先の言葉同様に自由を奪う言葉になると思います。
他者評価というのは、答えは常に相手がもっていて自分の行動がその相手の答えに合うかどうか気にしている状態です。
自分の道の前に障害物があったとして、『避ける』や『移動させる』など行動を起こすでしょう。
障害物が人に変わっただけです。
自分ではどうしようも出来ない人は『避ければいい』
少し話せる人なら、一声かけて『移動してもらえばいい』
自分がどうしたいかで行動していいんですよ、という言葉です。
語尾の『いけない』という言葉も強制力があるので反発したくなりますね。

「起きている出来事は、全て自分の責任だ」
→これも『責任だ』という言い方が気持ちを窮屈にさせますね。
自身で世界を作り上げていっていいんだよですね。
相手がどう思うか考えるあまりに自分が望まない選択をし続けている人が多いです。
その選択が後々の自分の未来にまで影響していきます。
しかし、相手の意図をくみ取っただけなので相手が責任を認知してくれることはありません。
相手を想うがあまり、自分に嘘をついてしまいます。
自分に素直になり、自分が思う選択をしていいんだよ。
何故なら自分で責任をとっていくのだから、ですね。

「相手を許しましょう」
→なかなか難しいことです。
前の言葉が理解できると、つながる部分があります。
自分に嘘をついて、周りの人や時代などの環境に影響を受けた選択をしてきた人がたくさんいます。
ズルい人、攻撃的な人、だましてくる人などなど。
しかし、その人にも理由があります。
ですので、そうなった『過去』を許しましょう、ということですね。
『過去』を責めても変えることが出来ませんから。
私の好きな言葉に「汝、その者を許したまえ。その者は何をしようとしているのか分からないのだから。」があります。
自分を分析して、今の行動を意識して選び取っている人は少ないです。
無意識に突き動かされています。
そのことに気づいた方から許してあげてね、だと思います。
しかし、すべてを受け入れろというわけではないです。
そういう過去があっても、自分に合わなければ避けていいし、必要最小限の接し方でいいです。

長くなりましたのでこのあたりで。
自分の考えばかりで申し訳ありません。
小瓶主さんに幸多からんことを。
失礼します。
・・・小瓶を見る
クロ
小瓶主さんへ

小瓶主さんのお気持ち、わかります。
私も自殺未遂をしたことがあります。

その知人の方は死に憧れをもっているのではないでしょうか?
人は未知のことに良いも悪いも興味を抱きます。
それは過大評価または過小評価されることが多いです。

生きたいは、「知りたい」「体験したい」や「死にたくない」が原動力。
日常で知ることもできない、体験することもできない。
ただ与えられたことだけをこなせとされる毎日。
段々と「死」について考える時間が増えていきます。

叶えたい気持ちが強いと、それが叶わなかった時の反動も大きい。
諦めが「死」を救いのように思わせる。

様々な世界を見せながら、それをするな、大人しくしてろ、お前には出来ないと言われ続ける日々で気持ちを押し殺す苦痛と「死」を選ぶ苦痛とを天秤にかけだす。

小瓶主さんは自殺未遂を経験されているので、実際の苦しみを理解されて、その天秤のバランスが保たれているのだと思います。

生きるか死ぬかではなく、
「こうしたら出来るよ。」「こっちには興味ない?」
などと提案できる世の中を私は目指しています。

そういった人が特に大人で少なくなっているのが現代です。

本当はなんだって叶う。
ただ知識を奪われているだけ。
盲目にされて、人同士で攻撃させられている。
仲間になればなんだって叶う。

お金は人を動かす道具に過ぎない。
1人だからお金がないと何もできない。
お金を使わないと人は動かない?

人を集めよう。

長々と勝手な文章を申し訳ありません。
小瓶主さんと知人の方に幸多からんことを。
・・・小瓶を見る
クロ
小瓶主さんへ

僕と経験が重なるなと思うところがあり、小瓶主さんのことが気になりました。

考えを否定されたり、受け入れてもらえない孤独な時間が小瓶主さんを作ったように思います。
それは苦しい日々でもあり、幸運な日々でもあります。
恐らく騒がしい毎日は望んでいないように感じます。

日々の経験で自分の能力を育てていきますが、育つ箇所が人それぞれ違います。
小瓶主さんは思考を、他の多くは表現方法を。
思考は年齢通りかそれ以下ですが、表現方法が多彩なので人とコミュニケーションをとるのが容易くなり、また自分の見せ方も理解していきます。
思考は年齢以上で独自のアイディアがあるにも関わらず、表現方法が限られるので子供の枠を超えず蔑ろにされます。

人間はアンバランスです。
表現方法ばかり優秀で内容の薄い会話しか出来ない人。
寡黙だがその行動には全て意味があるような人。
どちらも伸ばすキッカケがなく欲望のままの人。
様々です。

僕は幼い頃から文章にすることや言葉にすることが苦手でした。
何故、考えがあるのに書けないのか考えた時に言葉を知らないことに気付きました。
ですが、もう一つ困ったことに本を読むことが苦手でした。
ですので、30代にしてようやく言葉と見た目が自分に追い付きました。
四十にして迷わずが今の目標です。

小瓶主さんも大変だったと思います。
医師も基本的なデータを元に話しますし、何より勉強して来た自負があるので、そのプライドを守るように子供扱いになったのでしょう。
そして、医療はビジネスですので医師と言えども人間性が伴うことはまず難しいです。
そばで弟さんを見ていた小瓶主さんの意見の方が生きた意見だと思います。

お母様は所謂「普通の子供」をイメージして、小瓶主さん自身を見ることが出来なかったのでしょう。
その「普通の子供」もテレビなどでイメージ付けられたものなので幻想に過ぎません。
僕はしかめっ面している写真が多いので、小瓶主さんも似ているのかなと勝手に親近感が湧きました。

結婚や恋人を作るために努力された行動は、出会いの場を作る行動ですね。
それは数を増やす行動だったかもしれません。
しかし、そのサイトに登録されている人や合コンをセッティングする人の好みで集められた人には偏りがなかったでしょうか?
僕はそういったサイトを使ったことがないですし、合コンもなかったのでわかりませんが。
類は友を呼ぶといいます。
小瓶主さんの興味がある集まりに行くと理解してもらえる人にも出会えると思います。

僕も不謹慎ですが、災害でとか障害でとか不幸があった子供は気にしてもらえるんだと羨ましく思い、自ら不幸になろうとしていました。
ただ、どんなに不幸を手に入れて主張しても周りの人は避ける方向にいきます。

仕事は出来るが、家族はみれない。
何故なら家族は自分を支える存在だから。
家族にまで甘えれなかったら、息が詰まる。
家しか落ち着けないのだから、迷惑かけるな。
命令通りにしろ。
そんな風に感じます。

今は言葉を尽くして年老いた両親と話し合っています。
大変だった想いが両親から溢れてきます。
僕はそんなの知るかと思いながら、その時の想いを理解して解消する手助けになる言葉を投げかけています。

大人だと追い込んでいる大人の皮を被った子供。
そんな幼い所を守るように強化された恫喝力、無関心力。
そんな所でしょうか。

僕は小瓶主さんは魅力的な人に感じます。
きっと興味をもって、あなたの考えを聞きたいとなる人がいると思います。
何かテーマを決めて討論する集まりや、研究する集まりに参加されてはいかがでしょうか?

小瓶主さんは素敵な人です。
小瓶主さんのように考えれる人の割合が今の世の中では少数なだけです。
多数が正しいわけではありません。
数は力ですが、世の中を動かすのは少数派です。

未来ある小瓶主さんに幸多からんことを。
・・・小瓶を見る
クロ
現実的な話かはわかりませんが、案でよければ。

泣く子の前で、こちら側が泣くと泣き止みます。
自分がしている事を他人に置き換えれて、客観視出来て「可哀想」と感じます。
頭を撫でたり、どうして泣いてるの?と聞いてくれたりもします。

しかし、諸刃の剣でもあります。
自分が疲れてるのに先に疲れたと相手に言われると言えなくなるのと同じで、強制的に言えなくさせる作用もあるので、やめた後のフォローが大切です。

自らしなくなるには、頭で理解する必要があります。
悩みの根幹を理解して前向きになるか、リスカをしても救われないことを理解するか。

前者は時間がかかります。
家族も含め自分以外の人の背景は、よく観察したり周りの話を聞いたり、自分がその人の立場を経験しないと理解出来ません。
成長して恩師や親の気持ち、苦手だった人の気持ちを理解して感謝したり、許せるのはそのためです。

後者は危険を伴うかも知れません。
心底後悔するほどのリスカをする必要があるかもしれません。
それか危害を加えてくる人への当て付けでやっている場合、傷つけてきっと悲しむだろうがモチベーションになっている可能性があります。
その当事者がリスカを馬鹿にしたり、ぞんざいに扱った場合、このリスカは意味がないんだと理解します。
しかし、その場合は完全にその人との関係が崩れて縁を切ってしまうこともあるでしょう。

あとは、小瓶主さん自身が何故、リスカを嫌うのかの問題について考えられてもいいと思います。
リスカをしている友達と小瓶主さんとの考えの間にギャップがあります。
そのギャップを埋める言葉を小瓶主さんは持っているはずです。
それを伝わるように友達に言えるか、友達に同じ経験してもらうかになるかもしれません。

長々と申し訳ありません。
失礼します。
・・・小瓶を見る
クロ
小瓶主さんへ

大変お辛い気持ちを抱えておられるのですね。
暴力による虐待や過干渉の監視の目が常にあり、ご自身で判断出来なくされているようです。
最小限度の行動であるご自身の行動の決定さえ、躊躇うのではないでしょうか。

自分の意思ではなく、親の命令で行動しなくてはならない。
社会に出れば、親の代わりに他人の命令で行動しなくてはならない。
どう行動して良いのかわからないため、助けが欲しい。

また、助けてくれる人が現れても、助けてくれる人の命令を待つようになる。

私は上記のような状況でした。
小瓶主さんも、もし同じような状況でしたら長くなりますが、お話を聞いていただけないでしょうか。

親が味方でない時点で本当に本当に辛い世の中です。
頼れるのは自分しかいないからです。
自分で自分を律しなければならないからです。

多くの人は「そんなの当たり前だ。」と言います。
しかし、その中の大半は環境を作ってくれている周りに気づいていません。

朝起きたら挨拶してくれる。
命令ではなく、話しかけてくれる。
起こった物事について説明してくれる。
強制ではなく、提案をしてくれる。

「親は敵対する存在ではない。」
「親の言葉は命令ではない。」

これは、
「人は敵対する存在ではない。」
「人の言葉は命令ではない。」
になります。

家庭での環境はその後の人間関係に影響します。

先ほど述べたように、人の言葉は意見や提案だと理解している人と人の言葉は命令だと教育された人がいたとします。

前者が「そこは○○するんじゃない?」と提案したとします。
すると、人の言葉は命令だと教育された人は「○○しなくてはならない」と捉え、その通り実行します。
しかし、そうしたことで問題が起きたとき提案してきた人に話すと「そうなんだ。」くらいにしか思われません。
提案ですから、責任をもつまでではないことは当然です。

もし、その発言に責任を持つ人が現れたとします。
人の言葉は命令だと教育された人は安心して従うでしょう。
しかし、次第にすべて自分の言った通りになると理解した発言に責任を持つ人は、責任を持たなければならない疲れと従う様を見て、ぞんざいな扱いをするようになるでしょう。

また、発言に責任を持たないのに命令してくる人もいます。
常に従う人を探しています。
そういった人は暴力や威嚇で従わせてきます。

このように育った小さなコミュニティーでの経験が後まで影響していきます。

同じ環境下でも従う立場になる人と、そうでない人に分かれます。
そこには脳の個人差が関係すると考えています。
性別の違いでも差が出てくるでしょう。

一般的に女性は恐怖を強く感じやすい傾向にあります。
これは本能に関係していて、子を守ることから安全を求めるためです。

この恐怖が行動を制限し、従わざるを得ない状況になると考えます。
恐怖を克服するには理解する他ありません。

ここで大切なのが
「人は敵対する存在ではない。」
「人の言葉は命令ではない。」
というところです。

対峙している他人と親とは別の人間です。
敵意はなく、特に深い意味もなく話しかけてきているだけです。
まず、親と他人は別なのだと区別できると大変楽になります。

では問題の何故、親は敵対してくるのか?
日本のみならず、世界でも似た傾向にありますが生活に余裕がありません。
例え金銭的に裕福だとしても、仕事の負荷が大きく子育てで頼れる人がいない。
考えている余裕がない。
義務的に親を演じているに過ぎず、子育ての知識が全くない。

このことを全て一から説明するとなると今までの比ではないくらい長くなるので割愛します。

そして、上記のようなことを言うと「親は大変だから一方的に子供が我慢しなくちゃいけないの?!」となると思います。
それは違うと私は声を大にして言いたいです。

むしろ「大人ならそういった状況になる前に手を打てよ!」と怒鳴る側の人間です。

無条件に「親を敬え」も間違いだと思います。
「敬ってもらえる親になれよ!」と思います。

社会に出ると年齢だけ大人で、出来ることが増えただけの精神的に成長していない人がたくさんいます。
ですので、したたかに相手を見極める必要があります。

この人は何を恐れ、何を嫌い、何のために動いているのか。
まずは仮説を立てて、行動を観察して検証する。
信用に足る人なのか。
目上、目下なんて関係ありません。

若くても考えて、挑戦して学んでいる人。
年配でもただ似たような日々を欲に任せて浪費してきた人。
様々です。

人の言葉に左右されていては勿体ないです。
最後まで、どこまでもついて来てくれるのは自分の体しかないのですから。

様々な言葉を尽くしても、伝えきれません。
力不足で本当に申し訳ありません。

ただ未来の小瓶主さんに届いて欲しい気持ちで言葉を送ります。

長々と申し訳ありません。
未来ある小瓶主さんに道が拓けますように。
・・・小瓶を見る
クロ
小瓶主さんへ

不安を大変抱えられているようですね。
全てのことに詳しいわけではありませんが、私の一意見として書かせていただきます。

『もし国公立大学や有名私立大学に進学出来なかったら、就職も不利になるのでしょうか?』

目指している企業があり、その企業が最低学歴を設定している場合は必要になってくるとは思います。
ですが、それ以外でしたら求める会社によりますし、ご自身で会社を立ち上げてもいいと思います。

行きたい私立大学があるとのことですので、ご両親と相談されるのが良いかと思いますが、文面からなかなか相談しづらいご様子ですね。
でしたら、それ以外に大学へ進学経験のある方とお話されてはいかがでしょうか?

人の経験や歴史というものは、自分の人生を進む上での地図のようなものです。
暗がりの洞窟に入るかどうか躊躇っているときに、地図に「クマに注意」とか「貴重な飲み水あり」など書かれていれば後押しになるように、「こうした場合こうなり易い」「こうすると良いと思う」などあれば後押しになります。
しかし、ここで重要なのはあくまでもこういった言葉は「意見」です。
「命令」ではないのでご自身で決めていいのです。
まだ迷われる場合は判断材料が足りてないか、そういったもの以外の不安が大きいのでしょう。

ちなみに私も裕福ではなく国立扱いの職業訓練校が大学になったようなところに行き、有名企業の子会社に就職しました。
その親会社の本社へ子会社から派遣として配置され、軍事関係の装備品を開発していました。
そのあと大学院卒の人が親会社採用で入社して来ましたが、私と同じ作業をしても毎回機器を壊して「あいつは使えない」と散々陰口や嫌味を言われ、違う部署へ異動しました。
しかし、親会社採用は給与面で強く、数年後には私では手が出せないような高級車に乗っていました。
仕事としては本人の能力が問われ、給与や待遇面では学歴がものをいうと思います。
しかし、起業すれば実力が大きく割合を占めるでしょう。


ブラスバンドと友達との付き合い方ですが、どちらも共通していることがあると思います。
ご自身の意見を言うのが大変苦手なため、意思表示が出来ず、損な役回りばかりではないでしょうか?
私も過去、人に意見することが大変苦手だったためわかります。

私は人の言葉が「命令」に聞こえていました。
そしてそれを守り、それが上手くいかなかった場合に命令してきた人に「責任」を求めました。
しかし、責任を求められた場面でさらに強い口調で「お前が悪い」と言われました。

聞こえる言葉は「命令」だし、従ってしたことに対する「責任」は全部自分だし、拒否するともっと怒られると怖くて怖くて仕方ありませんでした。

社会に出てわかりました。
人の言葉はほとんどが「意見」です。
そして命令口調の人の言葉はすべて無責任です。
責任なんて一切とりません。
責任をとれる人は力強く後押しをしてくれます。

あなたは「○○してはいけない」「○○しないといけない」「普通○○するだろ」のような言葉で行動させられてきませんでしたか?

これはあなたを縛りつける言葉です。

今の世の中全体が「受け入れる人」を探しています。
それは、その探している人達自体も「受け入れる人」だからです。

「受け入れる人」とは、どんな理不尽なことでも疑えず実行する人です。

身体的、精神的にどんなに苦痛でも「○○しなければならない」「抵抗してはいけない」と頑張る人を求めています。
そして、そういった仕打ちを受けた人は、その手法を日常から学んでいるので、次の世代にも押し付けていきます。

「生み出せない人は、奪うしかない」
やる気を奪う。
自由を奪う。
人生を奪う。

「生み出せる人は、与えることが出来る。」
生み出せる人、アイディアを出せる人は、その人のやる気を生み出す言葉をかけられる。
その人が自由になれるヒントを与えられる。
人生を豊かにしていく思想を育てていける。

Giver(与える人)とTaker(受ける人、奪う人)

人はバランスをとるもの。
会社に搾取されている人は、会社ではGiver(与える人)
しかし、家では命令口調で良心を搾取するTaker(受ける人、奪う人)

家庭では必要以上に優しく明るくいい子なGiver(与える人)
友達関係では我がままで乱暴なTaker(受ける人、奪う人)

またその逆もあり得ます。

会社でGiveとTakeが5:5でバランスがとれていれば
家で過剰に奪うことはないでしょう。

家庭内で言いたいこと言えて、受け入れてもらったり自分も受け入れたりの関係なら、友達に無理なお願いはしないでしょう。

あなたの周りはどうですか?
奪われすぎていませんか?
どの場所でもGiver(与える人)ではないでしょうか?

癒しビジネスが流行り、立ち向かわず別の場所、別の方法で欲求を満たす毎日。
しかし、先述したように与えた人、もしくは組織から受け取らないとバランスが崩れ歪みが生まれます。
その歪みは攻撃性をもって、他者を傷つけることが多いです。

今の世の中はその大きな歪みの中にあります。
なので、奪われてばかりで苦しく、絶望される方がおられるのも必然と言えます。

私も与えるばかりで、受け取ることしていませんでした。
言い換えれば、奪ってくる人に立ち向かわず怯えていました。
立ち向かってはいけないと思い込まされていました。

私は優しい人を見つけては、優しくしてもらい癒されていました。
言い換えれば、甘えるだけ甘えて、その人には何も返さないままでした。
返し方がわからなかったのです。

まず、奪ってくる人に立ち向かうことから始めました。
そうすると人の言葉が「命令」に聞こえていたのが、ただの「意見」に聞こえるようになりました。
自分で決めれるようになっていきました。
次第に周りの目も変わってきました。
言えばやると思われていた時は、機械のボタンを押す感覚で命令されていたのでしょう。
しかし、やるとは限らないになるとこちらの出方を伺ってきます。
そこでようやく話し合いが出来ました。

本当に難しかったのは、教えてもらった人やお世話になって人に返すでした。
自分には何もないので、とにかく要望を聞いて最大限努力して形にすること。
今も学んでいる最中です。

長文失礼致しました。
未来あるあなたに道が拓けますように。
・・・小瓶を見る
クロ
小瓶主さんへ

大変怖い思いをされたことでしょう。
体の痛み、心の痛み双方お辛いことだと思います。

更生の見込みと、愛し方の形に暴力があるのかについてです。

DVと一纏めにすると分からなくなることがあります。
どのような経緯でそうなったかが重要です。

人は言葉で説明出来ないことだらけです。
説明出来ず、諦めて別の話題にしたり、無視したり、何故分からないんだと聞き手のせいにしたりします。

「好きすぎて、離したくなくて手を出してしまった」
というように言われていますので、
言葉では説明出来ない感情がわくシチュエーションがあったのでしょう。
あなたを愛していて、愛されていると思っているので分かって欲しいという欲求が強かったように思います。

人は見聞きした経験で無意識に行動を決めています。
当然ながら自分の知識外のことは選択肢にあがりません。
過去にDVを受けた経験があるようですので、今後も説明出来ない強い感情の際に暴力という形で現れる可能性はあります。
これはあなたとお相手の方との関係というより、お相手の方と過去との向き合い方にあると思います。

暴力で人が従う様を知ってしまった以上、その非道さを理解し、理性で納めるほかありません。
なかなか過去と向き合えない場合、DVをしてきた親のことを心のどこかで、まだ好きで従わざるを得ないと思っているのではないでしょうか。
嫌いになる必要はありませんが、従う必要はないく、自立した一人の人だと認識することから始まります。

しかし、向き合うということは想像以上に苦しみを伴います。
大変な苦しみですので、関わってきた人のせいにして攻撃することも考えられます。
お相手の方、本人が向き合う気持ちになることが重要です。

ですので、あなたに今後も付き合いしたいお気持ちがあるのでしたら、お相手の方の思い出話を仲間として聞いてあげてはいかがでしょうか。
なんとかしてあげようや変わって欲しいではなく、彼自身が振り返れるように。
そして、聞いているあなたは寄り添える信頼できる仲間だと。
親ですら信頼でかなかったお相手のために。

あなた自身の依存かどうかですが、私には難しい問題です。
愛情なのか、依存なのかは私も答えがでません。
お互いに気持ちがあれば愛情で、一方の気持ちに偏っている場合は依存かもしれません。
それもあなたが、あなた自身の過去と向き合うべきことかもしれません。
お相手の方に仲間になってもらえると心強いと思います。

未来あるお二人に道が拓けますように。
失礼します。
・・・小瓶を見る
クロ
小瓶主さんへ

まったく贅沢な悩みではありません。
現代病のようなものだと私は思います。
本当に幼い頃から、私たちの周りの環境はそうなっています。

好奇心が芽生えても「あなたのため」と言って、小さな芽を摘む。
安心、安全が一番な世界。
小さな芽を摘んでいる人たちも、摘んでいる意識はありません。
本当に不安で、心配して優しさで摘んでいます。

成長してやりたい気持ちが芽生えても「○○でこうなったらどうしよう」など自分で可能性の芽を摘んでしまいます。

今の世の中で「こうしたら出来るよ」「失敗しても、こういう風にまたチャレンジすればいい」といえる一般人は少ないです。
ほとんどがプロの人で「この人は才能があったから」と別次元にしがちです。

私は「才能はみんなにある」又は「才能なんて誰にもない」と思っています。
矛盾していますが、要は「どれだけ繰り返したか」だと思うからです。
気持ちが続くもの、続けても苦じゃないものに出会えることが重要です。

恐らく「続けて何の意味がある?」と先のことを考えがちでしょう。
先なんて誰もわかりません。
考えるだけ無駄です。

意味は出来るようになってから考えればいいのです。

もの凄く立派なインタビューをしているプロスポーツ選手が、最初から意味を見出して練習してきたでしょうか?
好きだから、続けてこれたから言える言葉ではないでしょうか。

「もし○○だったら」とネガティブに物事をとらえて、諦めているとしたら小さいことから反復して克服するといいと思います。
予想した出来事が実際に起きるか賭けをするゲームなど。
道行く人がどっちに曲がるか、あの店に入るか、自分が○○したらどうなるかなど。
自分が予想した通りになったら、何故そう思ったのか分析します。
自分の予想した通りにならなくても、また分析します。

予想通りにいく方が少ないでしょう。
不安から避けるのではなく、確証があって別の道を選択するのは違います。

やればやるほど、「やってみないと分からない」になります。
想像し、やってみて答え合わせをする。
答えは最初からありません。
やってみて初めて分かります。

未来ある小瓶主さんに道が拓けますように。
失礼します。
・・・小瓶を見る
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