私は、、まだ、いくつか、格闘中だから
道の途中の人としてのお返事です。
今後また、変わる可能性もあります。
ああ・・って、ほんの数日前、私の思いこみが
上書きされる瞬間に立ち会いました。
それは、ずっと、周りの人が、私に言ってたことと同じなんだけど
私にしてみれば、フラッシュバックや起こる現実の方が
インパクトは強いので、
すべて、蹴散らして、耳をふさいでいました。
「信じない」という選択です。
結局、外野になにを言われても、その殻を割るか割らないか、
気づき自体、当人にしか、体験できないことなので
人が人を変える、みたいなことは、不可能だぜ、と再認識することがあまりにも多い。
で、上書き後、
ちょっと怖いことになりました。
その悩みを抱える前の自分に戻ってしまった。
世間、社会のなかで、なぁなぁで、自分のことなのに全部他人まかせの、
一番なじみのある、あいつです。
わたし、どうなるんだろう・・と、若干絶句していたら、
それとは関係なく、ふと
去年派遣先で、出社拒否になるくらい、自尊心を踏みにじられた
あの男のことが浮かび、
ああ、冗談じゃねぇ!
だれが、他人の穴埋めして生きるかっ!
と・・
それは、もともとは、歪んだ怒りの出来事だったんですが
今となれば、自分を正気に戻してくれる
「愛の怒り」のほうの記憶にスライドしていました。
たまたま、偶然(シンクロという)、よそのカウンセラーさんで
自分と98%仲直りが出来たのに、あと2%くらい、
残り火(恨みつらみ、怒り、許せない、流せない)
があって、
それを持て余しているというメルマガを読みました。
その2%という、怒りの爆発力が、今の自分を創ってきた。
ということに、自己対峙の上気づいたのだそうです。
その瞬間、その2%を、そのままの形で、自分のなかにあることを
許可できたそうです。(赦し)
その人も、爆発力の時点で、愛の怒り(自尊心へ傾くほう)に
スライドしているのだと、読んでいて感じました。
長くてごめん。
つまりは、無理に消そうとしたり、乗り越えようとしなくても
それがあったからこそ、
いま、自分を見つめるきっかけになることもあるのだし
別の角度から見れば、ネガティブ感情同様、
あるからこそ気づけるもの、と扱う(位置づける)という見方もあるよ〜のはなし。
強要ではないので、あ、違う!と思えばスルーokです。
ではでは!