数を数えている時ふと他のことを思い出したり周りに注意を引くものがあると意識がそっちにいってしまい、それまで数えていた数が飛んでいくつだったのかわからなくなることがあるんです。家でも外でもこんなことがあります。私一人きりならいいですが仕事の場合は迷惑が掛かります。気にしなければなんともありませんが、雑な子だとかやる気がないんだとか、嫌味等言われて人間関係が上手くいかなくなってきてしまいました。
やる気がないことはないと思っていたけれど人から見たらそうではないようで、私は本当はやる気がないのかも、自分がわからなくなってきたなど人に言ったら変な奴だと思われるようなことを深く考えてしまいます。
気になってネットで調べてADHDなのではとまた気に病んでしまい、本当に病気になりそうです。
あまり考えすぎるのも良くない、きっと人に話したら大したことでもないのかもしれないとおもい小瓶を流してみました。
もしこれを読んで私と似たような人がいたら御返事いただけると嬉しいです。それ以外の人もお待ちしてます。
私もそんな感じのところがあります。
自分がADHDなのかと悩んだこともあるけれど、別にそれはそれでいいと自分で色々と調べて考えて納得しました。
変な奴や無気力と捉えられることがあってもそれが私だし、色んなところに目が向くことで見えてくるものや役立つこともあって面白いし、自分の諸刃の剣な性質を今では気に入って付き合っていこうとしています。
世界には様々な要素があってこういうものもひとつ活かせる時もあるし、無理に変えようとか自分を病気だと思わなくてもいいと思います。
多数派といわれる形に上手く嵌まれないことで、他の人に理解されにくかったり認められなかったりして生き辛いところもあるかもしれないけれど、その孤独のために逆に穏やかになって自由な時間や思索を得ることができるという楽しみもあります。一定数こういうタイプの人も世の中にはいる筈です。不安ならばそういう意味では大したことではないとも言えます。
病気とか異常とか酷いレベルの都合でどんな現象や精神にも付けられてしまっている気がします。あなたに毒づく人も場合によって下手をすれば障害であると呼ばれてしまうこともあるのではないでしょうか。
でも、一体その障害とは誰や何にとっての障害であるのでしょうか。
真偽を問う以前に互いを追い詰めていくばかりの思考は虚しいものだと思いませんか。それにより自己否定して本当に心をボロボロにしてしまった人がいくら溢れていることでしょう。
今の時代は情報が入りやすいし想像力が豊かな人は仕方のないところもありますが、あまり暗い意味で差別的に物事を見つめる人の話ばかりに触れているとどんどん引きずられてネガティブ一直線になってしまいますよ。
ADHDと呼ばれるような資質をただ個性や才能の一つだと発信する人もいますし、私は個人的にそういう風に捉える人の心の方が倦んでいないように感じます。