待機児童の問題が深刻化していますよね。
この一件は今の社会の構造的欠陥だと思います。今の状況に陥っている一番の原因は核家族化が進み、親と一緒に暮らしてもいなければ子供を預ける相手も居ない、という状況が招いているのは確かですよね。
そうは言っても生活の為には都会に行かなければならない。そういった社会体系にもなっていますよね。
そこで僕は考えました。
複数の家庭で共に暮し、別の家庭の子でも自分の子と同じように面倒を見る。仕事の休みな人が代わりに周囲の子の面倒を見、協力しあうんです。
例えて言うならば江戸時代の長屋に似ているでしょうか?
淡白な社会から助け合いの社会へと、再び戻しては如何でしょうか?
江戸時代の長屋の文化が本当に素晴らしいものだったら、今も続いていたと思います。他人同士が暮らすのは凄まじく気力を消耗するから、核家族になってもやっていける時代になった途端に核家族化が進んだのだと思いますよ。
昔だって裕福な店の主は核家族状態でした。貧しい人は、皆我慢して他人と近くにいたんじゃないでしょうか?
学校や職場だけの関係でも気を使うのに、金を絡んだ家族扱いなんて尚更と思いますが。
待機児童がない地域もあるんですよ。
地方には、子供が集まらないで困っている保育所もたくさんあるんです。
待機児童の根幹は核家族ではなく、一部の都会に人口が集中し過ぎるせいだと思います。集中するのはなぜか。一部の都会にしか仕事がないからです。いえ、厳密にいえば地方にも農業や工業、介護など福祉の仕事はあるのですが、給料が安すぎる所が多く、暮らしていけないのです。都会では土地がない、安全性、近隣との騒音トラブル、給料が安すぎて都会で暮らせないから保育士も不足と、さまざまな問題がありすぎて保育所も増やせない。
都会に出なくてもちゃんと地元に職があって、実家から仕事に行けるような環境なら、同じ地元同士の結婚も増えるでしょう。そうしたら同居したり近距離別居したりして互いの親族と協力しあえる人ももっと増えるんじゃないかと思います。