死んだら楽になれるとどうして言い切れるのか。
今の若い人にこんなこと言うと馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、俺が小さい頃に死んだばあちゃんがこんなことを言っていた。
死んだら三途の川を渡ってその先に閻魔様がいて審判を下すんだ。自分の一生が映像化したみたいに嘘偽りなく見せられ判決を言い渡される。地獄か天国か。天国に行く人はもう
輪廻しなくて済む。つまり輪廻して生まれ変わる人は一度地獄に落ちた人なんだってこと。地獄にもいろいろな重い刑から軽い刑があって、最悪なのは地獄から脱け出せないのもあるんだってさ。だから誰が見てなくも、おてんとうさまは必ず見ているから悪いことはしなさんなと言うことだった。
ちっちゃな子どもの俺は怖くってさ、その夜眠れなかったのを覚えてる(笑)
きっと俺のベースはここにあるんだろうね。
曲がりなりにも人から後ろ指さされない生き方ができているのは、ばあちゃんのおかげ。
生きるも地獄、死ぬも地獄って言葉がある。
だが生きていれば楽しいこともあるが、死後の地獄にはそれがない。
それに死後はすべてが受動的。生きてる間だけなんだよ能動的になれるのは。
信じるか信じないかはあなた次第。
俺は信じちゃいないけど(笑)
ただ、ばあちゃんには感謝している。
今、オリンピックやってますね。
オリンピックに出てくる選手は皆、厳しい練習をこなし、プレッシャーと戦っています。
毎日くたくたになるほど走ったり泳いだり、時にはふらふらになるほど減量したり、練習のし過ぎで怪我までしたり。
そんな凄まじい生活も、オリンピックという目標の為なら耐えられるのです。
人は、目標さえあれば苦難に耐えられると、彼らは証明しています。
これは特別でない一般人でも当てはまると思います。
家族のために激務をこなす会社員とか、子供を産む為に体の痛みや不自由に耐える妊婦さんとか、受験の為に寝る間も惜しんで勉強する学生とか。
また、こうしたポジティブな目標でない時もあります。卒業さえすれば…といじめに耐えている子、大人になりさえすれば…と崩壊した家庭で耐えている子、そういうネガティブな場合もあるでしょう。
この目標は、生だけでなく死でも同じです。
悲しいことですが、毎年自殺する方がたくさんいます。「死ねば楽になれる」と本気で信じる人は、極限の恐怖や痛みに耐えて、目標である死を手に入れます。
あなたが今、苦しいと言いつつも、死ぬまではいかず耐えている(生きている)のには、何か必ず生きるための目標や理由があるはずです。
死にたい消えたいは、既に充分考え付くしたと思います。
それだけ強く願っても、死を手に入れられないのはなぜか、暇な時にじっくり考えてみて下さい。
本当に求めるものが、死でなく生の世界にあると、たとえ無意識にでもわかっているから、あなたは死なずに生きているのだと、私には思えます。
その欲しいものが何かわかったら、手に入れるために頑張ればいい。そうしたら少しは、命に価値が見いだせるかもしれません。