塾で初めて会ったときはほんとにうるさい人だなと思った。
授業もロクにしないでずーっと雑談してて、この先生なんなんだろうなって思ってた。
友人の担当の先生で、すごいおもしろい先生だって言っていた。
それから私は友人が授業があるときはついて行くことにした。
黙々と自習をしている中で、友人と先生が話しているのを見ると、確かに面白そうだった。
進学して、私の担当の先生がその先生になった。
やっぱり雑談ばかりだった。
でも雑談は、なるほどなと思うような面白い話だった。
そして授業はとてもわかりやすかった。
誕生日には誕生日カードを、バレンタインにお菓子を渡せば必ずお返しを渡してくれた。
私はそんな先生と仲良くなった。
先生は私の校外活動をことあるごとに見に来てくださった。
1日に三度場所を移動してでも、先生は私の活動を見てくれた。
写真も何枚も撮ってくれた。
テストのたびに私は塾にこもり、先生に授業をしてもらった。
自習だと言って、タダ授業をたくさんしていただいた。
先生のおかげで、私は一度も赤点を取ることなく、高校二年生を修了した。
先生と私は故郷が同じだった。
私はそこで生まれたわけではないが、幼い頃はずっとその町で育った。
故郷のようなものだった。
小さな港町。
大好きな祖父母がいて、とてもいい町で、私は大好きだった。
その町は震災で壊滅的な被害にあった。
私の知っている町ではなくなった。
祖父母もいなくなった。
その後、その町ではよくお祭りが行われるようになった。
私は特別な用がない限り、お祭りがあるたびに町を訪れた。
その祭りのたびに先生に会った。
最初はほんとにびっくりしたけど、会ったときはたくさん話したり、一緒に写真を撮ったりした。
塾で会うのとは何かが違って、嬉しかった。
そして、今年の3月11日も先生に会った。
私は最近、その町の震災前の写真集を入手した。
今ではない建物がある。緑がある。人がいる。
懐かしくて懐かしくて、涙が止まらなかった。
そのとき私はこう思った。
今、先生にここにいてほしい。
先生とこの写真集を見て、いろいろな話をしたい。
先生が3月11日あの町にいたということは、私と同じような思いをしているに違いない。
いつも騒がしくて、うるさいけど、先生だってそうなんだ、と思った。
私だけじゃない。
今では担当の先生が変わってしまってさみしい。
でも先生は私のところに来てくれる。
担当の生徒さんがいないときは、次の生徒さんが来るまで私とずっとしゃべっている。
授業最後の時間帯だと、1時間くらいしゃべっていたこともあった。
先生がしゃべって、私が相づちを打つ。
これが来週からはもうできなくなると思うと悲しい。
でも私はこれからも先生が担当の友人が授業があるときはついていくつもりだ。
明日、先生がいる時間帯の塾に自分の授業で行くのは最後だ。
分からないところ、たくさん聞こうと思う。
先生ともっと話したい。
先生をもっと知りたい。
先生とまたあの町で会いたい。